• No.02 MAISON EUREKA

    No.02 MAISON EUREKA

    中本健吾/以下 N) こういう対談は初めて? 中津由利加/以下 Y) 雑誌とかオンライン記事でのインタビューはあります。 N) WWDの記事は見たよ。じゃあローカルなお店と対談するのは初めてだね(笑) Y) そうですね(笑)こんな企画をやってるお店さんもないですよね。 N) この企画はうちの会社のWEBチームから、商品以外も掲載したいというリクエストがあって。やるなら店舗とリンクすることがいいなと思って、なにかトピックがある時に対談を組んで、相手の思い入れのある場所で行うことにしたの。今回は、4月11日からref.でMAISON EUREKAのpop-upイベントをやるので、その前に対談させてほしいと思って由利加ちゃんの住んでいるベルリンで1月頭にやろうと決まってたのに、私の年末年始の暴飲暴食が祟って出発2日前に緊急入院してしまい延期に。3月頭に予定を組んだらコロナでベルリンに行けずまたしても延期。。じゃあ由利加ちゃんが日本で展示会してるこのタイミングでやろうって事になって今日ようやく対談できます。ギリギリ(笑) Y) 急がないとですね(笑) N) そそ   N) 場所のリクエストがとんちゃん通りだったんだけど、どんな思い入れがあるの? Y) 私が初めて社会に出た場所です。高校を卒業してすぐに福岡から上京しました。 N) 東京に出たくてしょうがなかった? Y) そうですね。大学や専門学校に進学する意味がないと思っていて、すぐに社会に出たかった。 N) やりたいことが決まってる人はプロ野球みたいなもので、早く社会に出たほうがいいよね。ちなみに、福岡は街中の学校だったの? Y) 福岡市内です。私立の女子校でした。 N) それで、東京に出てきて、仕事はアパレルと決めていたの? Y) そうですね。高校生の頃からファッションが好きだったので。 N) どんな格好をしてたの? Y) 2つ上の兄の影響もあって、最初はアメカジから入って、その後ストリートファッションになりました。 N) GOODENOUGHとか? Y) その前にOLD NAVYとかRRLとか着ていて。それから、兄がGOODENOUGHとか着はじめて。 N) 福岡はGOODENOUGHの聖地だもんね。 Y) そうなんです。それで、兄が持っていたGOODENOUGHのシャツを勝手に着て怒られたりしてました(笑) N) そりゃ怒られるわ(笑)バリバリメンズファッションの王道を歩いてるね。由利加ちゃんがスカート履かない理由がわかった気がする。そのお兄さんは今何してるの? Y) 兄はシルバーアクセサリーの販売員として働いています。 N) じゃあオシャレ兄妹じゃね! Y) いやいや…。でも兄の方が地道にコツコツやる方ですね。ジュエリーコーディネーターの資格を取ったり、マイスターになって会社から表彰されたりしています。私よりすごいと思います。 N) すごいねー!兄弟はおひとり? Y) あと弟がいます。 N) 弟さんもファッション関係? Y) 弟はちがいます。 N) え、もしかして福岡でとんこつラーメンとか作ってたり?(笑) Y) そうです!!当てられたー!(笑)    N) そういえば、由利加ちゃんは広島に縁があって、お父様が広島の出身で、今もお祖母様が住んでるんだよね。 Y) そうです。 N) 行ったことある? Y) ありますよー!いつも家族で福岡から車で行ってました。  N) じゃあ久しぶりの広島だね。それと面白いのが、由利加ちゃんのno44時代の上司が僕の後輩(笑) Y) そうなんです!この前ばったりお会いしました! N) どんな感じだった?相変わらずスカしてた?(笑) Y) いえいえ(笑) N) 当時は怖かったの? Y) 昔からすごく優しい大先輩という感じでしたね。たぶんすごく年の差があって、私が子供だったので、優しく接してくれていたんだと思います。 N) そっかー。今なら一緒に仕事とかできそうなのにね。オファーないの? Y) ないです、、何か嫌われるようなことしたかな(笑) N) いやいや!あいつは後輩に頼らないっていうプライドがありそうだから(笑)   N) 最初にno44を辞めてからはどうしてたの? Y) ロンドンへ語学留学をしました。 N) バイヤーの仕事には語学が必要だと思ったの? Y) そうですね。会社にはすごく良くしてもらって、入社してすぐにパリとかミラノとか連れてってもらったんですけど、自分には荷物持つくらいしかできなくて。でも早くメインのバイヤーになりたいじゃないですか。ただ、その当時、自分より8才上の先輩がアシスタントとしていて、その方が次のメインバイヤーになるって考えた時に、このままここで5年とか働いていてもメインバイヤーにはなれないと思ったんです。実際、その頃の自分は本当に何もできていなかったので。だったら少しでも今とは違う環境で、今後に活かせる経験をしようと思って、留学を決めました。 N) それで、ロンドンを基点にバックパッカーで旅をしたりしたんだ? Y) はい。ロンドンには1年半くらいいたので、日本で貯めたお金で色々な経験をしました。 N) その後日本に帰ってきて、no44に戻ったんだよね?そこからはバイヤーの仕事をしてたの? Y) そうですね。メインバイヤーの先輩もいましたが、私もヨーロッパやLAに買い付けに行っていました。店長として店舗の業績を任されるようにもなったので、その時に感性を磨く仕事と、数字面を考える仕事の両方を経験できましたね。 N) その時は、お店は1階だけの時だった? Y) 2階もありました。 N) じゃあ既にとんちゃん通りで確固たる地位を築いていた時だね。そこでは何年やってたの? Y) 2年半ですね。その頃からH&Mとかファストファッションの流行が始まって、客層も変わってしまって。良いと思っていたものが急に受け入れられなくなってしまったんです。ただ、会社として絶対にかっこいいものをやっているという自負はありました。 N) no44はどなたが編集していたの?...
  • No.01 DESCENDANT

    No.01 DESCENDANT

    中本健吾/以下 N)何から話しますか? 西山徹(TET)/以下 T)DESCENDANT広島店のオープンの話にしましょうか? N)TETくんに広島への出店を決めてもらったけど、何が一番の決め手でした? T)広島のThe Trunk Market(以下 TTM)に2回出させて頂いて、地元のお客様との距離がとても近いなぁって思いました。他では体験したことがない近さでした。 N)普段はそんなにお客様と触れ合ってないのかな? T)パネルやワークショップ等もやってきているので、そんなこともないんですけど、やっぱり広島で感じた近さは独特なものでした。それは中本さんたちがずっと培ってきたコミュニティなんだなって思いました。 N)たぶんTTMが昼間っていうのもあるんだろうね。あと、ある程度歳をとったっていうのもあって、みんな丸くなってるっていうのもあるんじゃないかな。そこがたぶん近くさせてるんだろうね。前は独身だったけど、今はベビーカー押してくるみたいな。 T)あとはみなさん服がお好きですよね。 N)あぁそうね!よくお客様に「カタログでお酒が飲める」って言われる。 T)へー!(笑) N)ファンはね!これで今日一杯やりますわ、みたいなね(笑) T)楽しみにしてくれてるわけですね。 N)うん。これはレディースでは中々ない世界よね。 T)そうかもしれないですね。でも本当にTTMは大きなきっかけになりました。自分たちも色々とやってはいたつもりだったけど、まだまだだなぁって思いましたね。 N)いや、届いてるじゃん。 T)一番近い東京でやり切れていないなと。小さい区画ですけど店頭の軒先で野菜の販売をしたり、花見シーズンはコーヒーの提供をしたり、服の販売以外のところでお客様と接点を持つきっかけは作っています。この間は、写真家で友人の平野太呂が撮った写真を写真集にして、その展覧会をやりました。 N)なるほど。でもTTMは独特の距離感かもしれないね。様々なブランド、ショップが一堂に会してるし。何なんだろうなぁ。 T)客観的に見ると、すごく圧倒されます。 N)面白いのは、10代からファンだったお客様が、自分からTETくんに「写真撮って」とは絶対行かないの、だいたい奥さんが代わりに声をかけてる。あれは笑うなぁ。その後、僕のところに来て「ありがとう、TETさんに会えて嬉しかった」ってみなさんが言ってくれるんですよ。そういうのがあるから、みんなTTMを郷土の誇りみたいに感じてくれてるんだと思います。TETくんは袋町公園を知ってくれてるもんね。 T)そうですね。 N)今回その公園周りにお店をだしてもらうんで。 T)はい、縁のある気のいい場所ですね。 N)じゃあ、大変だけどTTMにまたでなくちゃいけないね(笑) T)そうですね(笑)  N)前から気になっていたんだけど、TETくんは東京・代官山出身だよね。案外僕が思うクリエイターって東京出身の人が少ないなぁって思っていて。昔から勝手なイメージがあって、クリエイティブなことをやる人は田舎の人って言っちゃいけないけど、東京ってやっぱりすべてのものがそろっているから、なかなかそういうものが根付かないというか、そういうイメージがあって。まぁ、東京でもユーミンみたいな八王子とかだったら別なのかもしれないけど。近いところでNIGOくんとJONIOくんは群馬でしょ?ヒロシさん(藤原ヒロシ氏)は伊勢でしょ。なんかそういうイメージが僕の中にはあるんだよね。 T)まぁそうですね、多いですよね。ただ、近いところで挙げるとSKATE THING、YOPPI、ムラジュン(村上淳氏)は東京です。もっといますね。 N)でもTETくんみたいに、東京のど真ん中出身の人いないでしょ?物心ついた時にはハリウッドランチマーケットあったでしょ? T)ありましたね。代官山にはそこしかなかったです。現在のASOとT-SITEは豪邸と駐車場でした。その駐車場でスケートボードをよくしていました。ムラジュンや、バーバルくんとかもいたと思います。 N)じゃあヒルサイドテラスのハリウッドランチマーケット側は開発してなかったってこと? T)商業施設は何もありません。ハリウッドランチマーケットとハイスタンダードしかなかったです。 N)じゃあ代官山は当時スケートボードメッカだったの? T)そうですね。T-SITE辺りの駐車場がスポットになっていたり、西郷山公園があって。あと、当時はヒロシくんが代官山に住んでいたので、やっぱり滑る拠点にはなっていましたね。 N)僕は代官山のヒルサイドテラスが大好きで。トムズサンドイッチも。だから東京に住んでいた時、代官山は好きな場所だったな。 T)東京に住んでたんですね!どこに住んでいたんですか? N)僕は武蔵小杉に住んでた。神奈川だけど。 T)そうだったんですね。起業したのが今のref.ですか? N)最初はHIGHBRIDっていうお店。94年だったかな。呉でスタートした。 T)あ、そうでしたね! N)そうそう。代官山はちょうど僕がいた頃、ファッションが開発されていて。 T)90年代になって、ようやくショップやレストランとかが出来始めたんですよね。 N)そうね。だから、僕にとって代官山はトムズサンドイッチや小川軒もあって大好きなエリアです。 T)トムズサンドイッチは去年なくなっちゃいましたね。昔、トムズホットドックってあったのご存知ですか? N)知らない! T)あったんですよ、八幡通りに。80年代くらいでしたかね。 N)そんなTETくんは若い頃、何に1番影響を受けたの? T)そうですね…確実に言えるのは、ヒロシくんやSKATE THINGとかですね。元々はスケートボードやUSのユースカルチャーは好きだったんですけど、彼らから直接影響を受ける方が、近道でもあり、ハイブリッドでもあり今のストリートファッションの先駆者でした。 N)それはTETくんが何歳ぐらい? T)13-4才ですね。ただ、そうなると早く大人になりたくて。今思うとそれはちょっともったいなかったなって。生き急ぎました(笑)でもそこが情報源でしたし、刺激をもらって、色々と学んでましたね。 N)やっぱりお二方の影響が1番強い? T)その後、NIGOくんと知り合って。彼がNOWHEREを立ち上げて、僕とSKATE THINGがやっていたFORTY PERCENT AGAINST RIGHTS(以下FPAR)を彼のお店で取り扱ってくれることになったのがきっかけなので、やっぱりNIGOくんも大きな存在ですね。 N)伸ちゃん(滝沢伸介氏)とはいつ知り合ったの? T)15-6才くらいに、たしかヒロシくんの家で会ったんですよね。当時、ペット伸ちゃんって呼ばれていて、爬虫類を飼ってて。ヒロシくんも爬虫類好きじゃないですか。 N)僕もヒロシさんとオオサンショウウオ見に行ったことがある。...
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