2023.02.24

Subsequence Talk

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昨年末に広島「ref. 03」で開催した本誌の展示イベント「Subsequence SALON vol.2 My Archive」。そのオープニングで行った〈visvim〉クリエイティブディレクター・中村ヒロキと本誌編集長・井出幸亮のトークイベントの内容です。

井出:本日はお集まりいただきありがとうございます。『Subsequence』編集長の井出です。どうぞよろしくお願いします。この「My Archive」展では、中村さんがこれまでに集めてこられたさまざまなものの一部を展示しています。元々は2012年から2018年まで雑誌『POPEYE』で続いた「My Archive」というタイトルの中村さんの連載企画があり、僕はその担当ライターを務めていました。2018年にはその記事をまとめた単行本も刊行されています。

古旗(Subsequenceプロデューサー):そうした出版にまつわる活動が、2019年にキュビズムから創刊された雑誌『Subsequence』へとつながっていたという経緯でしたね。

井出:そうですね。それで、実はその『My Archive』の単行本が刊行された際に、収録されなかった連載回というのが十数回分あったんですね。その未収録記事の一部を、今年刊行した『Subsequence』の5号の付録として、ミニブックにしました。そして今回の展示イベントに併せ、それをさらに再編集して『My Archive Booklet』というZINEの形にまとめました。ぜひ後ほど実物を見ていただければと思います。連載の取材時には、毎回、中村さんがさまざまな私物を持ってきて、それについて感じることや思い出などを色々と語ってくださるわけですが、それらのものが、時代も地域も本当に多岐にわたる幅広いもので、いつも驚かされていました。一般的にコレクターというのは、特定のジャンルやブランドなど、収集の志向性がわかりやすく決まっていたり、その範囲を自分で限定していたりする方が多いのですが、中村さんの場合は、言葉で簡単にくくることができる“枠”のようなものがほとんどないんですね。だからこそ、どういった視点でものを選んでいるのか、すごく興味深くて。その詳細はこの本(『My Archive』)を読んでいただければわかると思いますので、ぜひ皆さんお手に取ってみてほしいです。今日は中村さんがこうしたものに関心を持ち始めたきっかけや、どんな風に普段探しているのか、またどんなことを考えて集めているのかなど、さまざまにお伺いしていければと思っています。

中村:改めまして、中村と申します。今日はお集まりいただきありがとうございます。普段、〈visvim〉と〈WMV〉というブランドのクリエイティブディレクターをやっています。元々こうした古いものに興味を持ったのは、10代くらいの若い頃。僕が育った1980年代にはヴィンテージの古着のムーブメントがあったりして、その当時は単純に「かっこいいなあ、欲しいなあ」みたいな感じで惹かれていたんですが、後に自分でものづくりをするようになって、「自分はそのもののどこに惹かれているんだろう? 自分に“良い”と思わせているものは何なのだろう?」というところに興味を持つようになったんです。それで、自分の“フィルター”に引っかかったものを収集し始めて。それは例えば、テキスタイルだったり、自転車だったり、下駄だったり……そのフィルターをトレーニングしながら集め始めました。

井出:中村さんの話を伺っていていつも印象的なのは、今も仰ったように、自分の目線の“フィルター”みたいなものを意識されているということです。まず自分のフィルターを通して選び取ったものがあり、その後で、自分がそれを選んだ理由を考えていく、というプロセス。それはすごく大事なことであるけれど、忘れがちなことでもあるのかなと思っていて。その辺りのお話をもう少し伺ってもいいですか。

中村:プロダクトをデザインしたり、そうした仕事をしていてすごく気になる部分が、「考えること」と「感じること」との違いです。それらはまったく違うものなんだけど、普通に生活している中では、それらはあまり意識して区別されていないんじゃないかなと。例えば、ひとつのものに対して「これは誰々がデザインした」とか「これはどの時代のものだ」というようなことを思っているとき、それは「考えている」んだと思うんですよね。一方で、「感じる」というのは、何の考えもなく心が惹かれたり、感動したりすること。自分はそうした部分をもっと大切にしたいと思っていて。例えば骨董市に行っても、店主のおじさんが言っている商品の説明はほとんど聞かず、自分が感じていることに集中しようと。説明はあくまで“情報”だから。まず感覚的なフィルターにひっかかるものを探して、その後から、自分が何にひっかかったのか、分解して考えていく。右の脳で感じて、それを左の脳で考えて、左右でキャッチボールをするように。それを意識しながらやっていくことが重要かなと思って。

井出:考えるより前に「いいな」と思ったり、思わず手が伸びたり……そういう心の動きがまずあって、その後から、なぜ自分がそれをいいと思ったかというふうに考えていくと。それを繰り返していくことで、そこに何らかの共通点とかが見えてくるわけですよね。

中村:そうですね。それを自分で推測して、「ああ、これはこうだから素敵だと感じているんだな」とか、手探りでそのポイントを分析して調べていくというか。そういう作業が、クリエイティブのプロセスの中で僕にとってはすごく重要。

井出:中村さんが仰るそのプロセスには、一種の“訓練”みたいなものが日々必要ですよね。中村さんご自身も、こういったものに日々触れて感覚を磨くというか、常にキープしていらっしゃるんだろうと。そういえば、『Subsequence』5号では、本誌のスタッフと中村さんと一緒に、京都の骨董市に行くという記事を作りましたよね。中村さんの提案で、東寺の骨董市にみんなで行って買い物をしよう、それで買ったものを持ち寄って、そのものについて話し合おうじゃないかと。

中村:なんて楽しい仕事なんだろうって思いましたよね(笑)。一人2万円のバジェットをもらって。

井出:本当に!(笑)。なぜこういう企画をやろうと思ったのか、骨董市に行くという行為が中村さんにとってどういう意味があるのか、教えていただけませんか。

中村:前に井出さんと話していた時に、やっぱり感じることと考えることの違いをみんなに伝えたいよね、という話になって。普段生活していて、そんなことあんまり考えないと思うんですよね。あるものを「良いな」と思っても、なぜ良いと感じたのかなんて深く考えないじゃないですか。そういうことって、自分で意識的にやらないとなかなかできない。僕自身もできないので、それを常に試みることが大切だなと思っていて。それを考えるトレーニングとして、骨董市に行くことを提案したんです。

井出:確かに骨董市ってものがただ並んでいるだけで、インフォメーションがほとんどないですよね。店主のおじさんに聞くくらいしかない。情報がないから、自分の目で見て判断するしかない。値札すらついてないようなお店も多いし、店主に聞くたびに値段が変わったり(笑)。あるいは店主と交渉して、値切って安くしてもらったりとか。そうした行為も含めて、現代の一般的な買い物環境とはまったく異なるものですよね、たとえばインターネットで何かを買う場合なら、商品スペックなどの情報がすべて明記されてあって、店舗ごとの価格なども比較したりできる。でも骨董市ではそういうことは一切できない。ほぼすべて一点ものだから、比べようもない。そういう意味ですごい訓練になりますね。

中村:自分の感覚に向き合わないといけないから。店主が「これはいつの時代のどこどこの」って言ったって、本当かどうかは実際わからないですよね。だから自分がどう感じて、どこが素敵だと思うのか、そこだけが大切で。アメリカでもアンティークモールみたいなものがあれば行くし、別に何も買わなくても見に行ったりします。そういう刺激を受ける、いいトレーニングになるから。そんな話が、今回の「My Archive」展の話に繋がったんですよね。

井出:そういう訓練を経て中村さんが選び取るものの共通点の一つに、「手で作られたもの」ということがあると思います。なぜ惹かれるのか、ご自分ではどんな風に感じていますか。

中村:そうですね、例えばあそこに置いてある、インドのベイビーブランケット。刺子の刺繍で絵を表現しているんですけど、これはお母さんや家族が自分たちの赤ちゃんのために、ひと針ずつ縫って作ったもの。そのものの背景にある、子供に対する愛情みたいなものが感じられるんですよね。

井出:そのものが作られる過程にある人の気持ちのようなものが、手で作られたものには反映されやすいということなんでしょうか。

中村:絶対そうだと思いますね。例えば手で刺し子をしていれば、作り手がいくら均一に縫おうと思っても、人はその時々の気分に“波”がありますよね。その波に、その人の人間性みたいなものが表れる。それはやはり、ミシンなどの機械で縫ったものと比べて仕上がりが違うはずで。そのように「作る人が何を考えているか」がすごく重要だと思うから、僕も自分がものづくりをするときは、そういうことに気をつけながら取り組んでいます。先ほどお話したような、「情報」をたくさん入れ過ぎてしまうと、アウトプットが濁ってしまうから。そうしたことはお客様は直接知らなくても、きっと感じることなので。映画や本なども含めて、何を見て何を見ないのか、自分で取り入れるインフォメーションをコントロールすることが大事だと思います。

井出:またこうしたベビーブランケットなどは、いわゆる「商品」ではないですよね。自分たちのために作られたもの。子供のため、あるいは自分が使ったりするために作られたもの。そういうものには、よりプライベートな感覚が出てくるのかなという風に感じます。

中村:そうですね。もちろん僕は会社としてコマーシャルなプロダクトを作っていて、それはお母さんやおばあちゃんが子供のために作ったブランケットには到底敵わないですが、だからこそ、どうやったら使う人に長く楽しんでもらえるだろうとか、僕なりのポジティブなメッセージを込めていけたらと思っています。そうすることで、たとえ商品であっても、使っているうちに魅力的な表情が出てくるはずだと。こうしたものを集める中で、“時間”というフィルターを通すことで、外側の余分なものがなくなっていって、その中にある本質みたいなものが表れ出てくるということを実感したので、そこもすごく考えるようになりましたね。

井出:その意味で言えば、ここに並んでいるものは過去のもの、古いものが多いわけですけど、中村さんはただ古くて珍しいモノに魅力を感じているのではないんですよね?

中村:そうなんです。「古いから良い」というわけではない。それでは左の脳で「考えている」ことだから。特に現代のコマーシャルな世の中で生きていると、左脳に訴えかけるようなものがたくさん溢れているから、そうではなくて、理屈を超えた感性の部分、本質的に訴える力のあるものが作れたらいいなと思ってやっています。

井出:そういえば、少し前に中村さんに伺ったお話でとても興味深かったのは、江戸時代に作られたものと、開国後、明治時代以後に作られたもの――特に20世紀に入ってからのもの――は、そのものから受ける印象が大きく異なる、という話で。そこにどんな違いがあるのか、今日は実際にものを持ってきていいただいているので、お話を伺えたらと思います。

中村:はい。これは江戸前期ごろの着物だと思いますが、絹に絞り風の友禅染め、それと手刺繍が入っていて、すごく力強いものです。僕は普段アメリカに住みながら、日本各地の工房と色々な仕事をさせてもらっているんですが、この時代のものと同じものを今、作ろうと思っても、なかなかできないと言うんですね。「できない」ってどういうことだろうと思って。こんなに時間が経って、技術も進化してるはずなのに、なんで?って。

井出:なぜできないんでしょう?

中村:それは当時と今では、素材である蚕そのものも違うし、作業の時間が持つ意味だって違う。ただその中でも僕は、現代と最も違うのは“感覚”じゃないかと思うんです。感性、世界観が違うというか。僕は歴史家ではないしよくわからないけれど、さっき話していた“右側の脳”みたいなものを人間が存分に使えていた時代がかつてあったんじゃないか。この会場の入り口近くにある小さい世界地図は、嘉永3年、1850年のものです。この地図の形のように、当時の人々は現代人とは“世界観”が違っていた、そしてそれはもっと自然に近い感覚的なものだったんじゃないか、と僕は最近思っていて。

井出:そうですね。この地図が作られた少し後、開国後はいわゆる科学的な、縮尺もかなり正確な地図が作られるようになりますが、それ以前のものはぐにゃぐにゃしたいい加減な形の地図ですよね。日本もやたらでっかいし。

中村:そう、世界観が違えば、自然との距離感も違う。だからこういうもの(江戸時代の着物)ができたんじゃないかなと。こうした大胆な柄を思いつくとか、この感覚や感性が現代人とは違うという気がして。それで思ったのが、〈visvim〉の中目黒の店舗の庭を安諸親方に作ってもらったじゃないですか。

井出:安諸定男さんという庭師の親方ですね。80歳を超えておられる。

中村:あの親方が庭を作られている、その感覚が、江戸時代にものを作っていた人の大胆な感覚にすごく近いと感じたんです。毎日毎日、土塀を手でこねて。土を触って、石を触って、砕いて……その生活が、自然にかなり近いんですね。ひょっとしてそこにヒントがあるのかな、と。

井出:『Subsequence』の3号で安諸定男さんのロングインタビューを掲載していますので、ぜひ皆さんに見ていただきたいですね。安諸さんは庭づくりをするにあたって、詳しい見積もりも計画書も書かない、と仰ってましたよね。

中村:頭の中にだけイメージした絵があって、その大胆な絵を、手で全部作っていく。川に落ちている流木を拾ってきて、それを使って土塀を作ったりするんですね。そもそもは、僕の東京の家に庭があって、その庭を眺めていたとき、土塀の柱が曲がっていたりとか、門の木が二股に分かれていたりとかして、そのデザインがすごく気になって調べてみたら、その庭を作ったのが安諸親方だった、というのが出会いなんです。それで安諸親方に「どこでこういう木なんかを買ってくるんですか」と尋ねたら、「いや、こういうのは川に行って拾ってくるんだよ」って。山や河原で拾ってきて、それで土塀も何もかも作る。すごいなと思って。

井出:庭というのは、建築のようにすべて設計図どおりには作れないですよね。例えば自然の石をどうやって積んでいくかは、図面では計画できないことで、一つ一つ手で積んでいくことでしかできない。そういう“情報”ではない部分というか、土や石に実際に触れたりして感覚的な部分を開いていかないと、ああした庭づくりはできないんでしょうね。すごく即興的な作り方をされていましたよね。

中村:親方の仕事を見た時に「ああ、こういう感覚の人が現代でもいるんだ」と思って感動したのと同時に、今の世の中は、江戸時代からすればずいぶん便利になって、情報なんかも早く交換できるようになっているけど、僕ら自身が持っている感覚みたいなものは実は退化してるんじゃないか、と思ったんですね。でも親方を見ていると、何かヒントがあるというか。もしかしたらこの現代にも、僕だけじゃなくてみなさんにも、ポテンシャルみたいなものがあるのかなと。実際、何百年前にはやっていた、その感覚を持っていたんだから。ただその感覚は、自然に近くならないと出てこないのかなと思っていて。例えば虫でも動物でも、生き物をプラスチックの箱にずっと入れたら、弱ってきますよね。衰弱してくるし、彼らの感性とか生命力のようなものもきっとなくなる。だから、それをヒントと考えたとき、すごく希望が出てきたというか。安諸さんみたいに自分もなれる、みんなもなれるから、そうなった時に、未来の日本にちょっと期待が持てるかなって思ったんですよね。ただ、そこに気づかないといけないと思う。今はちょっとネガティヴなニュースが多かったり、世の中がそういうベクトルで進んでいるけれど、「いや待てよ」と。「これ(江戸時代の着物)ができたんだから、今もできなきゃおかしいよな」と思って、少しポジティヴになれたんです。

井出:特に日本には、まだ安諸さんのような職人の方も含めて、そうした感性を持っている人がまだギリギリ残っていると、以前に中村さんが仰っていましたね。中村さんはもう長くアメリカに住んでいらっしゃるからこそ、そうした状況が特にはっきり見えるという面があるんでしょうね。

中村:感じますね。基本的に、ものづくりはモラルが高くないとできないので。例えば、作り手が「誰も見ていないんだし、この辺でいいや」と考えてしまったら、そういうレベルのものしかできない。けど、「いやいや、ここまで高めたい。もっと高めたい」と思ってやっていれば、どんどん良いものになる。そうした“尊厳”のようなものが、日本の職人の文化の中にはある。誰かに見られているからとか、お金がいくらになるかとかじゃなくて、自分の誇りとして質を高めたいという気持ちがあるから、ものが良くなっていく。ぼくらは、そういう志を持つ人たちと仕事をさせてもらえるから、日本の生産背景で良いものができている。それは本当に大切なもの。だから親方にも職人さんにも言ったんです、「宝物ですよ」って。

井出:本当にそうですね。一方では、逆に言えば、そういうものは本当にまだ「かろうじて」残っているという状況で、日々失われていっている状況ですよね。

中村:それはあります。毎シーズン、この産地のこの工房は廃業しますとか、そういうことが頻繁に起きていて。まあでもこれ(江戸時代の着物)ができたんだから、今だってできますよ。過去にできたんだから。

井出:当時の感覚とか感性のようなものを取り戻すことができれば、ということですね。

中村:そう。そのカルチャーはまだ日本には残っているから、そこを大切にしないと。例えば、日本には着物の文化があるから、職人さんの工房がまだ残っているけど、その着物が日常生活の道具ではなくなって、完全に衣裳、コスチュームみたいになってしまうと、やっぱり続けていくのが難しいだろうと思う。毎日の生活の中に入って、続いていけるように。それがデザイナーとしての仕事なんだと思ってやっているつもりです。

井出:表面的な部分で同じもの、同じ外形のものをただ作り続けて保存することが大事なのではなくて、その裏にある気持ちや感覚みたいなものをどうやって持ち続けていくか。だから、古いもの、ヴィンテージを単に再現して復刻するとか、同じ形にすることが目的ではなくて、常にその背後にあったものを現代の生活環境の中で復活させたいという思いが、中村さんのもの作りには常にあって。そして、それは今でも絶対できるはずなんだっていう、本当にポジティブな気持ちを感じます。

中村:安諸さんみたいな人を見ていると、僕らもまだあの感覚に戻れるだろうと思うんです。僕だけじゃなくて、みんながこういう感覚になることができたら、きっと素晴らしい世の中になるんだろうなって思うんですよね。

Photo:Keisuke Fukamizu
記事:Subsequenceオフィシャルサイトより引用