2022.12.25

Subsequence SALON vol.2 My Archive

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「My Archive」展によせて(「My Archive BOOKLET」掲載)

文:井出幸亮
写真:深水敬介

過去の時代に作られたアーカイヴを自分なりに掘り下げて見ていくと、色々なことに気づいたりします。最近、特に感じるのは、江戸時代に作られたものと明治以後の時代に作られたものの違い。その背景には「産業革命」というものづくりの環境の変化があります。

産業革命は18世紀中頃から19世紀初頭、イギリスから始まった、石炭と蒸気力の利用を中心とした技術革新による社会の変化で、つまりは「大規模工場で、機械を使って商品を大量に生産できるようになった」ということ。その動きはヨーロッパからアメリカへと普及し、交通網と流通の発達とともに、企業がより安価で労働力が確保できる地域で生産し、それを主に大都市の人々が消費するという資本主義的な体制も確立していきました。

一方で、日本では江戸時代が長く続いていて、こうした欧米式の産業革命の導入が遅れ、明治維新後になって国策として急速に取り入れられました。その意味で、僕らは学校の歴史の授業なんかでは「江戸時代は政治や商業、学問などの面で“遅れて”いた、貧しく前近代的な社会」というように教えられてきた面があると思うんです。

だけど、僕が江戸時代に作られた着物や工芸や、美術などを実際に手に取り、見ていく内に感じた印象は、それとはまったく違うものでした。それらの多くが、後の時代に作られたものよりも、ずっと力強くて、個性的で、自然に近い魅力があり、人間らしい美しさがあると感じるんです。短時間で大量にものを作ることができなかった時代、人々は時間をかけてこしらえた貴重なものを大切にして、できる限り修理して使い続けたでしょう。当時の裂き織りや刺し子の「ぼろ」などを見ていると、彼らが暮らしの中でどれほどものを大事に思い、手をかけ、深く付き合っていたかが伝わってきます。

ものには、それが作られた時代の空気や、それを作った人たち、また使った人たちの精神性みたいなものが必ず現れてくると僕は思っています。自分たちで使うため、あるいは小規模な商いで顔が見える範囲のお客さんのために作られたものは、やはりその背後にある気持ちが、経済合理性を優先した大量生産品のそれとはまったく違うように感じます。産業革命以後、経済の規模が大きくなり、人々は豊かになったと僕らは教えられてきましたが、果たして本当に僕らの心は豊かになっているのかなと。

産業革命に“遅れた”地域だった日本には幸いにも、現在でもまだ、経済合理性ばかりを追求せず、小さい規模で良いものを作り続けている職人の方々がかろうじて残っています。そんな“江戸の文化”を今こそ、見直してみるべきタイミングじゃないかと感じています。

visvim〉クリエイティブディレクター
中村ヒロキ

Subsequence SALON vol.2 My Archive
会期:12/17(土)~1/9(月) *12/31(土)、1/1(日)は休業
営業時間:11:0019:00
会場:「ref.03」 広島県広島市中区袋町8-18 2F

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