宮島といえば、しゃもじ。しゃもじと言えば、宮島。
宮島町のある広島県廿日市市。国道2号線を瀬戸内海沿いに走り、踏切を横切る。少し坂を上がっていくと、閑静な住宅地の中にある山里的な雰囲気の場所にたどり着いた。
倉本杓子工場。
よく整頓された作業場、木の梁がむき出しの高い天井。窓からはキラキラと自然光が降り注いでいる。ふと隣を見ると、カメラマンの目もキラキラ。クリエイター心をくすぐるその被写体は、工場、という機械的な響きに似つかわしくない、言い換えるなら、しゃもじのための倉本サティアンといったところ。東屋のしゃもじ「宮島」は、全てここで生産されている。
宮島のしゃもじ生産量は全国第一位。そのルーツは1800年ごろ、寛政の時代までさかのぼる。これといった産業のなかった宮島の人々の生活の糧になるようにと、誓真さんというお坊さんが考案し、広めていったそうだ。
丸みがあって使いやすく、飯粒がつかないと評判になり、さらに、ブレイクしたのが日清戦争の時。全国から招集された兵士が広島の宇品港から出征する際に、「召し捕れ」との思いを込めてしゃもじに名前を書いて厳島神社へ奉納。無事帰還し、勝利の記念に故郷に持ち帰ったのがきっかけだそうだ。第二次大戦中には、呉軍港の要塞としての役割を担うなど、宮島は重要な軍事拠点でもあった。今となってはちょっと意外な話に思えるが、こういった時代背景があって、土産物、縁起物として発展をとげたという側面があるのだ。
そんな宮島しゃもじ、島を代表する伝統工芸品ではあるが、日用品であるということを大切にしたい、と倉本さんは言う。「現代の家庭で馴染みのあるしゃもじはプラスチック。暮らしの道具ではあるけれど、単純に手段として存在するだけで、どうにも愛着がわかない。木のしゃもじは一本一本木目が違う。洗って、日陰で干して、丁寧に使えば個性や味わいが出て来る。そういうところを見てほしいんです」と倉本さん。あくまで日用品ではあるが、日常の中でより良いものを、という気持ちは絶対に失いたくない、そんな思いで製作されているそうだ。
実際に詳しくしゃもじ作りの話を聞いてみると、信じられないほどの手間がかかっていることがわかる。土産物として卸すような商品は、金型を作って大量生産されている。だけど、東屋のしゃもじは一本一本が手作りだ。型を残しながら、アールのついたかんなで形状を出し、柄の部分をかたどっていく。木工の製作行程で、アールを出すのが一番難しい箇所だそうだ。宮島のしゃもじはこのアールに特徴があり、頑固なこだわりがあるという。顔の部分を削ると、概ね原型が完成する。あとはペーパーで磨き上げ、形状を整えていく。もちろん手仕事で。80番手からはじまって、少しずつ番号を上げながら全部で6種類もの番手を使う。水目桜は油をよく含んでいるため、磨き上げるほどに、素材の元来持っている艶が出るそうだ。そして、最後に焼き印を押して完成。少しずつ温度の変わるコテで、ほぼ同じ濃さ(!)、同じ位置に押していく。気の遠くなりそうな職人作業だ。
正直、効率がいいとは言えない、と苦笑いの倉本さん。これで、六寸半が1,115円、七寸が1,260円。実際に工場を見ながら、倉本さんの思いや製作行程の話を聞くと、もっと高く売ってあげる事は出来ないかと使命感にかられる。消費者目線で見るならばかなりお買い得な、というか、値段以上に価値のある良い商品だと自信を持っておすすめしたい。
倉本杓子工場/広島県廿日市市深江1丁目1−18