• No.6 PHIGVEL

    No.6 PHIGVEL

    11月末日、中目黒にあるPHIGVELの直営店PRODにお邪魔してきました。 (左から、才迫正道・東野英樹氏・黒河将吾氏) 才迫 正道/HIGHBRID店長(以下、才迫)今日はよろしくお願いします。 東野 英樹/PHIGVELディレクター(以下、東野)こちらこそ。何から話そうか?才迫)ブランドは2002 年スタートなんですよね。20年ってある意味特別な部分なのかなと思うのですが、何か思うことあったりしますか? 東野)あまり普段から意識したことはないんだけど、今回の20年っていうのは意識はあったかも。だから何かをやるっていうのは今のところはないのだけど。。。今までもあまり周年で何かやるっていうのもなかったしね。でも唯一やったのはPRODが10周年の時にイベントやったくらいかな。中目黒に移転した翌年が丁度10年だったから。ねえ、クロちゃん(黒河)。 黒河 将吾/PHIGVELマネージャー(以下、黒河)ですね、店舗のショップコートやエプロンを作って、写真展示して、飲食や音楽もイベント用に準備して、ちょっとしたパーティーみたいな感じでしたね。 東野)なんかあまりね、周年毎に何かやるとかは考えてないけど、勿論タイミングで出来ることがあればと言うくらいで。そんな特別なことでもないし、いつもと変わらないままなのかなって感じが大きいですね。才迫)PRODといえば、移転する前のお店も印象に残っています。千駄ヶ谷のロンハーマンの奥の方にあって、正直「なんでここに出されたんだろう?」って初めは思いました。  黒河)その時、僕はまだPHIGVELに入社してなくて、PRODに行こうとすると100%迷ってました。才迫)同じくです。特に僕たちみたいな出張で東京に向かう組は 笑。黒河)あまり目印もなくて、次行く時には忘れてますもんね。才迫)東野さん、あの場所に出されたのには何か理由あったりするんですか?東野)場所どうこうはないんだけど、お願いしていた不動産屋から、「探している条件とは違うんですが、是非見て頂きたい物件があるんです。」って連絡があって、見に行くと全然条件に当てはまらないんだけど…。建物なのか雰囲気なのか、グッと掴まれた部分があってその場で決めてました。 (移転前のPRODの写真) 黒河)その話は知らなかった。直感で感じたってことなんですか?東野)そんなカッコ良いのじゃなくて、その時は素直にそう思ったんだと思うよ。才迫)出張の際に、時間があると気になる店舗を回ったりするんですが、自分がPHIGVELが好きなのを差し引いても魅力のあるお店でした。東野)嬉しいです。内装も知り合いと一緒に作った店舗だから独特だったのかも。黒河)それも知らなかったです。才迫)のっけからマネージャーも知らない話のオンパレードですね 笑。東野)いやいや、なかなか話題にならないと話さないとこだと思うよ。 才迫)僕のイメージなんですけど、PHIGVELってブランドはベーシックだけど独自の雰囲気があってスタンスが変わらないブランドだなって思います。 東野)自分でも思うけど、良くも悪くも変わってないのかもね 笑。あっ、勿論自分達の中で結構変化はあるんだけど、表面的に見えにくいブランドなんだと思う。言葉とかそういうものが先行したモノ作りが性格的に苦手なのもあるから、ビジュアルから変化が伝わりにくいブランドなのかなって。色んなブランドがある中で、何が正しいかとかはないんだけど、イメージ先行の物作りよりは、アイテムやバックグラウンドから生まれるバランスを大事にしていきたいと考えていますね。そうやって作ったアイテムってやっぱり愛着も湧くし、着用した人に伝わる「何か」も多いと思うから。才迫)それは、僕も凄く思います。今回お客様にアンケートを書いて頂いたら、不思議と東野さんが言われたことに近い感想が多かったんですよ。いただいた回答の一部を紹介すると「シンプルなんだけど拘りが詰まったところが好きです。」「10数年前に購入したアイテムを数年ぶりに身につけても新しい良さを感じることが多々ある。」「カラーや素材やシルエットがシンプルだけど絶妙なところ。」「洋服に興味を持つことになったパンツが今でも一軍で思い入れがあります。」皆さんアイテムに凄く愛着を持たれてて、同じ意見が多かったのに驚きました。 黒河)才迫君からアンケートが届いたとき、僕も驚きました。全部目を通してみたんだけど、自分達と同じことを感じてくれているのは凄く嬉しかったですね。僕らが思ってることとお客様が感じていることが近いのが言葉として見れたのには驚きました。その晩、家でお酒飲みながらちょっと泣きそうになりましたもん。東野)伝わってるのがわかるのは凄く嬉しいよね。 黒河)あと才迫君、よく聞いたな〜って思いました 笑。中々聞けないじゃないですが、こういうのって。 才迫)ですね。僕も普段は中々聞くことないんですよ。でも今回この対談を考えたことや、今まで2回イベントを開催してお客様からPHIGVELの商品について問い合わせをいただくことも増えたのでせっかくならと張り切りました。こういう機会って中々ないですけど、なんか大事ですよね。12月に3回目ですから、よろしくお願いします! 東野)あっ、そっか、もうそんな時期だよね。準備しとくよ。 才迫)今まで2回イベントを開催して、前回店頭にも立っていただきましたが、広島のイメージってありますか?あとイベントに対してとか?黒河)1回目(2020年12月)はコロナの関係で行けなくて、2回目(2021年6月)にやっと行けた時は、すごいお客様の層が広いなって感じました。若いお客様ともお話できましたし、年齢層の高いお客様も多く、良い雰囲気でご紹介できたイベントだったなって印象があります。年齢層って大体どちらかに偏ることが多いと思うんですけど、不思議な感覚でした。あと同時にNEATさんのイベントも開催されてて、同じ空間でできたことも面白かったですね。その後も交友がありますし、ここでしか体験できないイベントだなと思いました。東野)クロちゃんが言いたかったことをまとめてくれたのでその通りです。でもイベントに対しては、正直なとこ言うと元々そんな得意ではなかったんですよね。何か色々考えてしまうことや、ブランドの立ち位置とかを考えたりして、、最近までは積極的ではなかったかも。 才迫)ここ数年開催させて頂いてるってことは考え方が変わったところなんですかね?東野)変わっていった一つの部分だと思う。長く変わらないスタンスでやってきた中で変わったとこ。正直昔は少し斜に構えてた部分もあったり、必要性も感じれてなかったんだけど。ブランドを続けていく中で、1度自分達の立ち位置を確立させようって時期があったんですよ。その時に色々やれる事を削ぎ落としていくと、やれてることって限られてるじゃんって。このままじゃ、ただ取っ付きにくいブランドだなって気づいちゃって 笑。もちろんそのお陰で、物作りに集中できた大事な時期ではあったんだけど。。それとは別に考え方にも変化が生まれて、今ならイベントをする事で見えてくることもあるよねって思えるようになったのかな。実際イベントに参加することで、自分たちが会えていない、その先のお客様に繋がることやその場所の「温度」を感じることが出来たのは嬉しかった。黒河)その場所に行かないと感じれない事ってありますよね。東野)最終的にいうと「人」なんですけど、その場所でしか会えない人や 出来事に魅力を感じています。今までそこを積極的にやってこなかったから、新鮮だし、その中で自分達が勉強になることも多くあるよね。才迫)そういう場所や機会が作れていることは貴重だなって思います。なので今回3回目のイベントでは、形を残したくて広島の別注アイテムの制作をお願いしました。 黒河)以前からご相談も受けていたんですけど、ようやく今回形になりましたもんね。才迫)はい。やっと形にできました。 1回目のイベントから考えてはいたんですけどイベントを重ねることで商品に出来たのかなって思います。ブランド・お客様と良い経験ができた事で、実現できた別注です。職権濫用ですが、誰よりも自分が着たい一枚になってます 笑。東野)それが一番大事だよ。僕たちも自分達が好きなモノを突き詰めて作ってるから。サンプルが上がった時に良いのできたな〜って思ったよ。黒河)シンプルなんですけど、結構色んなところに手を加えたので今までにない新型になりましたよね。元々才迫君が言ってた、お客様とSHOPが共有できる一つのユニフォームみたいなアイテムを作りたいっていうコンセプトが僕も素敵だなって思い、それが形になったのでとても嬉しいです。年齢やスタイルの違う様々なお客様に着て頂いて、共有して貰えると面白いですよね。東野)こういう変化があるって、またワクワクするよね。 才迫)お二人からお墨付きも頂けたので、早く紹介したくてウズウズしています。12月に広島で一緒にお披露目ができることを楽しみにしています。よろしくお願いします!東野・黒河)もちろん、こちらも楽しみにしています。広島で会いましょう‼︎ 終 ref.開催期間 12.16 (fri)〜19 (mon)(イベント詳細はこちら) ref. / Web Store 別注「EX W/CA DRIZZLER JACKET」2022.12.16 / 11:00 発売商品一覧  -about-PHIGVEL(フィグベル)“NEW CLASSIC”をコンセプトに掲げ、普遍的なアメリカンカジュアルやミリタリーウェアを基盤とし、あくまでもオリジナルに敬意を払ったオーセンティックなデザイン。わずかな要素を足し引きすることで現代的に昇華させ、パターン・ディテール・素材感に重点を置いた、良質で品格のあるものづくりを目指し展開。   文・才迫 正道在籍店舗/HIGHBRID記事一覧写真・桑原 法大在籍店舗/DESCENDANT HIROSHIMA過去記事
  • No.5 maruni

    No.5 maruni

    中本 健吾 / 以下 N)本日は、湯来町にあるマルニ木工本社から山中会長とお話ししていきたいと思います。山中さん宜しくお願いします。山中 武 / 以下 Y)宜しくお願いします。N)山中さんとは5年前に共通の知人を通して知り合ったんですけど、それ以前から周りには 『山中さんとは知り合いだよね』とよく言われてたんです。中々知り合う機会に恵まれなかったので、その時は遂にこの日が来た!と思いました(笑)Y)ほんとそうでしたね。会っていきなり中本さんに、ref.でネクストマルニの展覧会しませんかって言ってもらえて嬉しかったのを覚えています。N)私がマルニ木工を知ったのは広島の中新地通りにある和食の老舗「白鷹」のカウンターで使われてたネクストマルニ ※1 の椅子でした。それが今でも忘れられないのですが、無垢の一枚物のカウンターにジャスパーモリソン ※2 を筆頭に一脚づつデザインの異なる椅子がずらっと並んで圧巻だったんです。店主に聞いてみると広島の家具メーカーって言うじゃないですか!!!ほんと誇らしくて広島にゲストが来る度に背伸びして「白鷹」に通ったのを覚えています。Y)ありがとうございます。あれは当時の社長だった叔父が「白鷹」の常連で、プレゼントしたんです。N)そうだったんですね、衝撃でした。ネクストマルニは山中さんの企画なんですよね? ※1 ネクストマルニ...「日本の思想から生まれた世界の椅子」を目指し、日本の美意識へのメッセージをテーマに世界的なデザイナーが競作したプロジェクト。デザイナーに名を連ねたのは、アルベルト•メダ、ハッリ•コスキネン、ジャスパー•モリソン、ミケーレ•デ•ルッキ、AZUMI(安積伸・安積朋子)、SANAA(妹島和世・西沢立衛)と深澤直人、植木莞爾、内田繁、黒川雅之、八木保。※2 ジャスパー•モリソン...ロンドン出身のプロダクトデザイナー。ネクストマルニプロジェクトでの作品をはじめマルニ木工での製品は数多く、マルニの代名詞的な商品のひとつになっている。マルニ木工からは椅子以外にもスツール、テーブルなど多岐にわたり発表されている。 Y)はい、ネクストマルニの企画は2004年ですね。当時は会社が大変な時期で都内の銀行で働いていたのですが、立て直しの為に辞めて戻って来て銀行員的な考えで、正直儲かれば何でもいいだろうと。この工場も売却する絵を描いてて少数精鋭の商社で生き残ろうと考えていたんです。海外も含めると10個以上工場があったんですが、いくつか統合したり、本当に先輩方には申し訳なかったんですが沢山の方に辞めて頂く事になってしまって。。。それでも苦しい状況は変わらずもうだめだという時に、僕自身がウチの会社は木やモノづくりが好きな人間の集まりだという事に改めて気づいたんです。当時の猫足のクラシックなデザインの商品はとてもいいものだったんですが、30歳前後の自分がほしいモノではなかったんですよね。そこから色々なデザイナーの方と出会い、ネクストマルニというデザインプロジェクトを始めました。 N)デザインが好きだったんですか?Y)当時はデザイナーの方達の名前も情報もわからない状態でしたので、その辺りに詳しい妹に教えてもらって、これは面白いことができるかもとワクワクしてました。N)それまではクラシックしか作ってなかったんですよね?Y)そうですね。クラシックと一緒に大手量販店様向けにキャスター付きのような機能重視の安い椅子を海外の工場で作っていたんですけど、なかなか売れないんですよ。当時年に30〜40商品を新しく作っては世に出さず倉庫に眠らせるといった感じで、まぁひどかったです。そこでその当時からマルニのクラシックを好んで買ってくださるような感度の高いお客様に向けた商品開発をしないと立ち行かなくなると思ったんですよね。N)それでネクストマルニが生まれるんですね。Y)ネクストマルニは正直最初は全然売れなかったんですが、田舎の中小企業の商品がBRUTUSなどの雑誌に紹介され始め、手応えは感じてきていましたね。それが最初の気づきでした。N)いい事やっても知られないと意味ないですから、知られる事には成功したんですね。Y)はい。そこから40脚くらい新商品を出すんですが、名の知れたデザイナーに頼むだけではダメだとまた気付きまして。頼むだけだと華奢で今にも壊れそうな商品が多く座り心地も良くないといった感じでした。ようするに工芸の工業化というモットーがあるのにも関わらず僕らは工芸品を作ってしまっていたんですよね。N)当時私もネクストマルニの八木保さんのイスを買わせてもらったんですけど、確かに座りにくかったです(笑)Y)ただ凄い綺麗じゃないですか、欲しくなるような。N)買いましたもん!!! Y)ありがとうございます。当時ミラノサローネ ※3 国際家具見本市と同時期にミラノ市内のギャラリーで発表した際、たくさんのメディアに取り上げられてめちゃめちゃ売れるぞって思ったけど全く売れない、みたいな(笑)N)ただ名のあるデザイナーに頼んでも、想いと結果は違ったわけですね。しかしそんな中で深澤直人 ※4 さんに継続してデザインを依頼されたのはどうしてですか?Y)ネクストマルニを経験したベテラン技術者が、一番めんどくさくて細かいのが深澤直人だと。ただ周りの技術者も活かして一番ええもんを作るのも深澤直人だと言ってくれたんです。それを聞いて私も深澤直人しかいないと確信しました。N)それは凄いなぁ、そこで口説かれた訳ですね。Y)深澤さんに、うちはもうお金も時間もないですがいい商品を作って下さい、と言って赤字の決算書を持っていったんです。断わられるかと思いきや深澤さんが「Yチェアを超える世界の定番を作ろう」と言って引き受けてくださいました。N)打倒 Yチェアで誕生したのが「HIROSHIMA」って事ですね。Y)はい。 ※3 ミラノサローネ...毎年4月にミラノで開催される世界最大規模の家具見本市「ミラノサローネ国際家具見本市」の通称。正式名「Salone del Mobile.Milano サローネ・デル・モービレ・ミラノ」。※4 深澤直人...日本のプロダクトデザイナー。1956年山梨県生まれ。2003年NAOTO FUKASAWA DESIGNを設立。現在は、世界各国を代表するブランドのデザインや、日本国内の企業のデザインやコンサルティングを多数手がける。マルニ木工では、ネクストマルニを始め「HIROSHIMA」シリーズが名高い。 N)以前NHKで深澤さんをフューチャーした番組を見ていて凄く印象に残る言葉がありました。「私は『絶対デザイン感』を持っている」と、音楽の中では聴き慣れた『絶対音感』という言葉をユニークにデザインされていました。そこから拝借して私は『絶対商売感』を持っていると言い出しました。(笑)Y)ほんとあらゆる面でセンスのいい方です。N)大きな流れ的には会長(山中さん)が戻ってきて、ネクストマルニで挑戦して、その中から深澤さんが残って「HIROSHIMA」が誕生しアップル本社へ採用され世界中にマルニ木工の名前が知れ渡った。そこが分岐点でしたね。『ものづくりの大好き集団』と『絶対デザイン感』を持つ人が一緒に仕事した結果、世界のスタンダードチェアが誕生したわけですね。Y)そうなんです。 N)今日改めてお話しを伺ってみて思ったんですが、よくウチの仕事を受けて下さいましたね。こういったケースはよくあるんですか?Y)実はこういったケースは初めてで。中本さんからとにかく格好いい鏡が作りたいとお話しをいただいてスタートしたわけですけど、今まではそういったお話はお断りさせていただいていたんですよね。N)要するに何でも屋じゃないって事ですよね。Y)そうなんです。うちは椅子屋なわけで、量産できない物はやりたくないと思っていて。ただ今回は中本さんとのご縁もあり、特別にご一緒させていただきました。僕自身がワクワクしていたっていうところもありますし、ウチの技術者達とも話し合った結果、そうする事でまた新しい発見ができるんじゃないかと思ったんですよね。N)僕はかなり面白かったです。マルニの技術スタッフの方達も楽しそうにやっておられたので、これはかなりおもしろいことになるぞと思いました。打ち合わせの時、いつも皆さん目をキラキラさせて説明してくださいましたしね。Y)途中の段階で「これカッコつけすぎですね」と中本さんに言われて、技術者達とやっぱり言われましたねっていう反省もありながらも(笑)N)お化粧鏡の土台ですよね。Y)ここはかなり悩みながら試行錯誤を繰り返しました。N)最初は角のドーンとした土台だった所を僕が思い切って後ろに落としてくれって言って。(笑)倒れないように構造計算していただいたり反りが出るから底を削ってもらったり。 Y)木は生きてるってよく言うじゃないですか。生きてはいないんですけどね、生物的には死んでるし(笑)でも水がかかれば動くし吸ったりもするし。大きな板を小割にしてまた接着して削るとか、無駄なことばかりしてる様にも見えるんですけど、ボタン押して完成みたいなモノづくりではないですからね。木っていうのは2つ特徴があって1つは二度と同じ木目に出会えないことです。つまり原材料としては工業品には向かないんです。その中で木目を合わせるとか、塗装なんかと向き合わないといけない。もう1つの特徴は、みんな木の心地良さを知ってるってことですね。N)木は歩留まりが本当に悪いですもんね。100年かけて育てた木でも木全体の1割5部程度しか使わないじゃないですか。そう思うとそこから出来た物って100年は使ってあげないと可哀想ですよね。人工的な物とは明らかに違いますもん。Y)だからみんなつい触っちゃったりする訳で。大量生産できないってところがある意味、僕らが生き残れてる部分というか、独自でいれる部分かなって思いますね。N)大量生産的に端折るものづくりをされてしまうと僕らも命取りになるなって最近よく思うんですよ。そんな商品だと接客がいらないからAIに仕事取られて販売員はいらなくなっちゃう。Y)確かに。N)改めて一緒に仕事させてもらって、本当に「ものづくりの大好きな人達」だと感じました。そんな人達が働いてる工場を先程見学させていただいたんですが、若い人達が働いているのと外国人労働者がいないことに驚きました。これまで色々工場見学をしてきましたが、この会社規模でこれは稀かと。Y)それこそ僕が帰って来た頃は従業員を減らさないといけない時期で非常にしんどかったわけなんですけど、最近は「HIROSHIMA」がメディアに取り上げられるようになったり、ref.さんで取り扱いしていただけるようになったりで認知度が上がって、美大生であるとかデザインの勉強をされている方達が応募してくれるようになったんです。でも会社で主にデザインを担当するいわゆる開発部門は5人くらいしか必要じゃないわけで、なかなかその枠には入れないんですよね。結果的にはそこをサポートする技術部門であったり、工場の現場で腕を磨きたいと入社してきてくれる人達が増えてくれました。外国人の方も国籍で差別するつもりは全くないんですが、僕らのモノづくりっていうのは育ってきた環境だとか日本人の感性、感覚っていう部分が非常に重要だと思ってまして、あまり積極的に海外の方達を雇用してこなかったんですよね。N)やはりアップルやテイトモダンに納める物 ※5 を作っていると、若い人達が働きたいと思いますよね。iPhoneが発売された当初、裏蓋の鏡面仕上げを江東区の小さな町工場が作っていて注目を浴びたのを思い出しました。マルニで働くことはモテるんですよ!今からはこのモテる仕組みを作った企業だけが残っていくと思います。マルニさんはそれが出来ているんですね。 ※5 米Apple本社ビル Apple Parkにマルニ木工「HIROSHIMA」が数千脚納品されている。( https://webshop.maruni.com/fs/maruni/c/stories_Vol07 )テイトモダン...ロンドン・テムズ川沿いに建つ、国立近現代美術館。2016年の増築にあたり、マルニ木工の製品が多く納入されている。 Y)それと若い女の子がいるとベテランのおっちゃんが張り切るのもいいです。一同)笑N)国内の工場の理想的な姿を見た気がしました。コロナ、戦争、円安を経験した今、日本が海外に手放した各分野のサプライヤーを日本に戻す最後のチャンスじゃないかと思います。この3年間でわかったんじゃないですかね?こんな勤勉で時間や納期を守る国民が、納品に1年待ちとか新車購入時に鍵が1本しかもらえないとか耐えれない気がします。国防で核を持つとかそういう事じゃなくて「日本人のモノづくり」って部分が大きな抑止力になると思うんです。この工場を攻撃してしまうと「HIROSHIMA」が二度と作れなくなる、と思うと攻撃しないと思うんですよね。最終的にマルニ木工さんの工場にはミサイルが飛んでこないみたいな事になって、そうなると私は工場の横に家を建てさせてもらいます。(笑)Y)確かに(笑)そうなれば良いというか、そうなりたいですよね。N)そんな意味でも今回マルニさんと一緒にモノ作り出来て良かったです。二つの鏡、来年のグッドデザイン賞にエントリーしておきますね。Y)いいですね〜。N)また、一緒にものづくりしましょう。Y)もちろんです。N)最後にジャスパーモリソン、深澤直人、の続きに中本健吾って名乗っていいですか?一同) 大笑終 -about-株式会社マルニ木工1928年創業100年先も定番として愛される家具をつくり続ける。https://www.maruni.com/jp/ ref. / Web Store姿見 ・ お化粧鏡 文・写真有吉 将太郎在籍店舗/THE NORTH FACE STANDARD HIROSHIMA   Kengo Nakamoto / referred to as N) Today, I'm going to have a conversation...
  • No.4 guépard

    No.4 guépard

    中本)今回は宜しくお願いします。柳原)お願いします。中本)まずはブランドの成り立ちから。guépardは柳原くん・山村くん・比嘉くんの3人のメンバーで運営されてるけど、みんなが知り合ったきっかけは?柳原)最初から話すと、僕が独立するために「金子眼鏡」を辞めて地元の北海道・札幌に戻ってきたときに、ARCH(※1) のオーナーから地下の物件が空いてるからどう?って声をかけてもらって。中本)僕と柳原くんが初めて会ったのもその場所だったよね。柳原)そうでしたね。僕はずっとフランスのヴィンテージの眼鏡やりたかったんですけど、それを仕入れるツテがなくて。で、ネットでフランスヴィンテージのディーラー誰かいないかなって探してたら、フランスの眼鏡がズラーっと並んだ、全部英文のサイトが出てきたんですよ。で卸しをやってるのかってメールで問い合わせしたら、すぐに問合せ先から電話がかかってきて、、それが山村でした。中本)それが出会いなんじゃ。笑柳原)めちゃめちゃ関西弁のやつから電話がかかってきたんですよ。笑「え?海外じゃないんですか?」って聞いたら、「いや、僕神戸なんですよ。」って。それで連絡もらって1週間くらいで直接神戸に行って、そこでフランスのヴィンテージ眼鏡をちょっと買わせてもらって。で、二人で「やっぱりヴィンテージ眼鏡の中でもフランスのがかっこいいよね」って言ってて。中本)ヴィンテージってところに気付くのだいぶ早かったよね。柳原)早かったと思いますね。中本)山村くんはさらに早かったね。柳原)そうです、多分世界で一番早かったんじゃないですかね。彼は二十代前半アメリカ在住の時期からフランスヴィンテージだけでなく70’sから90’sのCAZAL(カザール), ALPINA(アルピナ), MIKLI(ミクリ), PERSOL(ペルソール), RAYBAN(レイバン)などのアイウェアブランドや、TART(タート), AO(アメリカンオプティカル),SHURON(シュロン)などのアメリカヴィンテージも収集していたようです。それまではアメリカのヴィンテージ眼鏡がすごくブームで。アメリカのヴィンテージって車と一緒で、ぱっと見はやっぱり格好いいんですよ、デカいとか、ゴツいとか。なんですけど、フランスのヴィンテージの眼鏡ってちょっとしたディテールが凝ってたりとか、ぱっと見は分からないんだけど、掘り下げていくとこんな作りしてたんだ、とか。なんかそういったところで二人で盛り上がってたんですよ。それでフランスのヴィンテージを山村は神戸で、僕は札幌で扱うようになって。そこから3年くらいした2015年ですかね。ヴィンテージって古着もそうなんですけど、必ず枯渇するじゃないですか。なのでやっぱり何かブランドを立ち上げていかないとっていう思いもあって。中本)そこに比嘉くんはまだ入ってないの?柳原)まだ入ってないです。ちょうど比嘉が自分でオーダーメイドの眼鏡を売るっていうお店を立ち上げたばっかりで、こっちにジョイントしない考えだったんです。なので最初は僕と山村の二人でやってました。比嘉は元々販売ではあるんですけど、そんなお店をやってるので職人側の人間でもあって。そんな比嘉のツテでいろんな眼鏡工場とか職人さんとか紹介してもらいました。それで一発目を作ったんですけど、やっぱり全然納得のいくものはできなくて。それだったら比嘉に作って貰えばいいんじゃないかと。で、僕と山村が出したサンプルをそのまま作ってもらいました。それくらいからguépardも少しずつ売れてきて。そしたら今度は外注先だった比嘉がもう手一杯になっちゃって、これ以上作れないと。そこでようやく比嘉が、そんな本腰入れてやるんだったら自分も一緒にやりたい、と言ってくれて。中本)そこで加わったんだ。柳原)そうですね、それまでは比嘉はあくまで外注先でしかなかったんですけど、それだったらもう三人で会社としてやろうと。それが2017年だったと思います。ある程度売れる数量とか、そういうのを見越して魅力的に映ったのか、僕と山村がわちゃわちゃしてる感じが良かったのかはわかんないですけど。笑2015年にスタートして、リリースしたのが2016年、で2017年に比嘉が入って今の状態になりました。だから、僕と山村の出会いがなかったら多分なかったですね。中本)そうだね。柳原)だからちょっと不思議な縁というか、タイミングというか。 ※1) ARCH…国内外のブランドとヨーロッパヴィンテージを扱う老舗セレクトショップ。札幌と東京に店を構える。 中本)ところで柳原くんのルーツってなんなの?ちなみに僕は「クリームソーダ(※2)」 なんだけど。。わかる?柳原)“クリソー”ですね。中本)そう、略して”クリソー”。なんか最近自分のルーツはなにかなと考えてたら、中学校の時のエピソードを思い出してさ。その頃、クリームソーダの長財布にチェーンつけて、胸ポケットにはコームを差して学校行ってたら「めっちゃかっこいいじゃん、それ!」って言われるようになって。「じゃあオレ通販まとめてしてやるわ」って、学校にカタログ持っていってオーダー取ってお金集めて現金書留で送って。それでクリームソーダのショップから商品届いたときに箱を開けると、中に非売品のプレゼントが入ってるわけ。それが嬉しくてね、そりゃみんなに営業するよね、笑それが僕の販売のルーツ、いわば『エンドユーザー側とメーカー側の両方に喜んでもらおう』っていう想いの根幹だと思うんよね。そんなところで柳原くんのルーツってなんだったのかなって思って。柳原)僕は、両親がもともとVAN(ヴァン)とかJUN(ジュン)とか着てて。VANはアメリカっぽくて、JUNはヨーロッパな感じでしたよね。両親がそういうコートとかをよく着ていて。中本)めっちゃ優等生じゃん。柳原)フランスで買ったCourreges(クレージュ)のニットがあったりとか。それでちょっと上品で洗練されてるヨーロッパのものが好きになりましたね。僕、生まれが北海道芦別市ってとこなんですけど、富良野の左隣辺りですね。昔は炭鉱があったので裕福でそういう人たち相手の洋服屋さんもあったらしいんですよ。中本)そうゆうお店って絶対VAN入ってたもんね。柳原)そうなんですよ。そういうのが両親とも好きで買ってて。思春期の中学3年生くらいの時に炭鉱も閉鎖しちゃって、買うところがなくなって。それで朝一のバスに乗って札幌に買い物に出てました。そこで両親の影響じゃないですけどアダムエロペで洋服を買うようになったってゆう感じですね。※2) クリームソーダ… 原宿文化を創り上げたと云われるロカビリーファッションブランド。当時も広島に販売店舗は無く、東京のショップへの通販のみで購入が出来た。 (ここで山村氏・比嘉氏も加わる) 中本)山村くんのルーツは?山村)僕BOON世代だったので、KNOCKOUTとか行ってましたね。JUNKSHOPとかも行ってましたし。(※3)中本)神戸は言わば“古着のメッカ”だもんね。山村)元々はそうですね、強かったですね。そっからはVIA BUS STOPにいったんですよ。中本)モードに入ったんだね。山村くんはずっと眼鏡屋さんなの?山村)最初はアメリカのアパレルで働いてました。でメガネはずっと好きで、ずっと見てたんですよ。中本)アメリカのどこにいたの?山村)最初テキサス、次ニューヨークですね。中本)アパレルはセレクトショップ?山村)委託販売のお店でした。色々あって、すごい古いハイブランドものだったり、最新のモデルもあったりとすごい面白くて。アメリカ時代は古いものからデザイナーものまで買ってましたね。中本)そのあと戻ってきて眼鏡?山村)むこうで個人で収集と販売をやってたんですよ。その頃はフランスヴィンテージだけじゃなくて、30年代から90年代までの様々なヴィンテージを収集していました。あとは仲良い友達に頼まれて買ったりとか。中本)へぇ、面白いね。やっぱり色々やってきてるんだね。 中本)比嘉くんのルーツはどうなの?比嘉)どうだったですかね。。服とか何着てたんでしょうか。。中本)なにかは着てたでしょ。なにか着てないとこんなに個性的にはならないでしょ。一同大笑中本)中学でそういうのに目覚めて買いだしたとか。比嘉)そうですね、Barbour(バブアー)とか買ってましたね。。中本)高校生は?比嘉)高校生は古着買ってました。山村)バンドやってましたもんね。比嘉)そうですね、、ベルボトムとか履いてましたね。中本)バンドはなんのコピーやってたの?比嘉)高校生のとき初めてやったのはTHEE MICHELLE GUN ELEPHANT(ミッシェル•ガン•エレファント)。あの感じが好きで、細身のジーンズとか履いてましたね、、懐かしい。。。めっちゃ恥ずかしい写真いっぱいありますよ。笑中本)そりゃみんなでしょ。笑比嘉)黒歴史。笑中本)ルーツって面白いね。柳原)結局それが根っこの部分ってことですよね。中本)何が好きだったかっていうのがね。柳原)まぁ良い言葉で言うと多様性というか、そういうことですよね。比嘉)そういう歴史を内包してるってことですね。中本)比嘉くんはなんで職人になったの?比嘉)いや、ただ憧れてましたね。元々は販売員だったんですよ、バイイングしたり。そのまま独立して、大阪と三宮の2店舗で眼鏡屋をやってまして。中本)やり手じゃん。比嘉)実はそっちが始まりなんですよね。その間に2人と話をする機会が結構多くて。憧れるんですよね、なんか作れる人かっこいいし。それで、自分で作って売るっていうオーダーメイドの眼鏡をやりたいと。周りは「そんなん素人が出来るわけないやん」って言ってましたけど、「そんなん出来たらかっこええやん」って。そんな些細なところから始まりましたね。中本)職人がメンバーにいるのは強いよね。柳原)三人でジョイントしてからが本格的なスタートになりました。今でももちろん十分大変なんですけど、ようやくブランドっぽくなってきたのかなと。中本)すごい売れてるよね。ref.で扱ってるから肌で感じてるんだけど、お客様の方から目指してきてくれる。あと他のサングラスメーカーってやっぱりどっちかっていうとちょっとアメリカ寄りに僕は見えてて。でもギュパールは一人違う方を向いているっていうのが、一人勝ちなとこがあるよなと思ってる。で、こうなってくると似たやつが出てくるよね。柳原)出てきてますね。いろんなブランドさん見ても明らかにこれ僕らのやってきてるのをサンプリングしてるよなとか。あとフレームのデザインも含めて、これ完全に意識してるなっていうのが感じれますね。中本)それについてはどう思う?柳原)いや、全然いいことだと思ってますね。僕らはアーカイブ本としてFrame France (※4)という書籍をguépard発足より前に作ったりしてて、その書籍は全部分解してネジ1本まで原寸大で載せているんです。分かりやすく言うと、それを買った人がサンプリングしてもいいし、コピーも作れちゃう。だからそういうのが世にどんどん出てって、認知されるっていうのは決してネガティブなことではないかなと。中本)まあ元々がサンプリングだもんね。柳原)そうですね。ただ僕らは分解、採寸、撮影まで全てこなしたので、より深くフレンチヴィンテージの細かいディテールや魅力に気付けましたね。中本)僕もそういうのすごくいいなと思っていて、やっぱり”パイオニア”でいれば良いっていつも思ってる。コピーというか似たようなことをやる人って、結局それが簡単でよく売れるから近いところにあるのをサンプリングしてやっていくじゃない。でもそこに魂が入ってないからすぐ売れなくなるし、売れなくなるとすぐやめちゃう。そういうところで魂の無いコピーを買っていた人は、guépardがオリジネーターだったんだって結局こっちにやって来る。でも全体のパイがすごく大きくなるから一概にダメってことはないんだけどね。そういうブランドがいっぱい出ることがguépardにとってもすごくいいことだと思う。柳原)僕らもそうやってポジティブな方に捉えてます。最近ようやくいろんなブランドでフランスのヴィンテージのエッセンスをちょっと抽出したようなデザインだとか、そういうのを見かけると、ようやくちょっと認められてきたのかなと。  ※3) KNOCKOUT / JUNKSHOP…神戸トアウエストの古着カルチャーを代表する老舗ショップ※4) Frame France…世界で初めてフレームフランスを掲載したヴィンテージアーカイブブック。( https://guepard.jp/products/frame-france ) 中本)そんなguépardの眼鏡の特徴ってどんなところか聞いておこうかな?柳原)フランスのヴィンテージならではですけど、エッジの立ったディテールだとか、ぱっと見ではわかりにくいところが僕ららしい。角張っていたり、曲線があったり。当時のオリジナルのディテールを詰め込んでます。そこは再現が非常に難しいところでもあるんですけど。分かりにくさと分かり易さ、そこが僕ららしいところですね。中本)フランスヴィンテージのブームって物を創るクリエイターからきたよね 。柳原)コルビジェとかの影響ですよね。中本)そうそう。僕の周りのクリエイターがフランスヴィンテージの眼鏡をかけ始めたな、と思ってたらguépardが現れた。なんかフランスの家具とかと精通するところがあるよね。物作りの人が好む、欲しくなる眼鏡。柳原)ぱっと見のわかりにくさとかもあるかもしれないですね。どれも僕らにとっては思い入れがありますね。 中本)去年(2021年)の10月にここ神戸でオンリーショップ1号店ができたけど、神戸スタートっていうのはやっぱり山村さんのお膝元っていうか、やりやすい感じがあったから?柳原)そうですね、guépardはプロダクト的にも優れていると思ってますが、ブランドの核となるところは本当のヴィンテージを知っているかというところだと思っています。ちょうど良いタイミングで山村と比嘉のお店があるビルに空きの物件ができて、その核となる世界観や生産の背景を見せることが、よりブランドの強みになると思い、ここに1号店を構えることにしました。中本)場所で言ったら神戸の中では街中からちょっと外れたところだよね。柳原)この辺はお店もないですしね。中本)じゃあもうお客様は完璧にここを目的で来られるって感じだよね。柳原)そうですね。もしかしたらここが三宮の中心部とかだったら、よりセールスがいいのかもしれないですけど。僕らとしてはやっぱり、僕らの考えてることとか頭の中というか、そういうのを体感してもらうにはここしかないと思いました。中本)今後はオンリーショップの展開が中心かな。柳原)まだ公表は出来ないですけど、良い意味で期待を裏切るような構想も進んでいます。売れ方の中身というか、クオリティーというか、ただ売れればいいんじゃなくて、売れ方のクオリティーをどう高めていくことができるか。やっぱり僕ららしいところはブレずに。買う人が僕らの世界観とかをもっと感じれるようなクオリティの高い売れ方、売り方をしていきたいなっていうのはありますね。広島もチャンスがあれば。笑中本)広島でやらせてもらおうかな。笑箕本さん(帯同ref.スタッフ)チャンスじゃん。彼は元々神戸の眼鏡屋で働いてたんだけど、今回「一緒に神戸取材行かしてくださいっ!」って志願してきて。先日、面談で「目標ないの?」って聞いたら「眼鏡とコーヒーのお店やりたいです」って。「じゃ〜それ目標にしんさい」ってなったのよ。笑柳原)箕本さんチャンスですね。中本)なにニヤっとしよん。笑一同大笑中本)では今日はありがとうございました。柳原・山村・比嘉)ありがとうございました。 -about-guépard2016年 ブランドスタート2021年10月 ブランド創設初の直営店となるブティックを、神戸北野SPEAKEASY隣にオープン。https://guepard.jphttps://www.instagram.com/guepard_jp/ ref. / Web Store  商品一覧   Kengo Nakamoto / referred to as N) Thank you for coming today.Kazuki Yanagihara / referred to as YH) Thank you for having me.N) Let’s start...
  • No.03 映画「逆光」

    No.03 映画「逆光」

    尾道を舞台に70年代の三島文学をオマージュし、同性愛を描いた映画「逆光」。映画に合わせて様々なイベントを企画。そのイベントの一つとして、この作品が監督デビューとなる須藤蓮、脚本を手掛けた渡辺あやとref.の中本健吾が本音で熱く語り合った。映画「逆光」× ref. ー支援を決めたきっかけー中本健吾/N)去年の4月にスタートさせたアーティスト支援(*)が終了間近の今年3月、次は誰を応援しようか考えてた時にちょうど袋町公園で知り合いを通じて紹介されたのがきっかけ。蓮くんの第一印象はもの凄い元気だなと、久しぶりに若い圧を感じた(笑)それと映画というものに携わったことがなかったから知らない領域に足を踏み入れるのも刺激的だと思った、コロナだし。須藤蓮/S)初めてお店の前を通った時、ほんとカッコ良くて。ref.のこと全然知らなかったけど、あのガラス張りのとこでイベントができたらベストなんだけどなってずっと思ってた。そしたらこっちのチームに中本さんにつながる人がいて、ほんとに驚きました。N)それは、嬉しい。うちの店(ref.)は看板もないから必ず『袋町公園にあるガラス張りの店』って呼ばれてる。しかし蓮くんは時間関係なく(24時間)思いついたときに電話してくるから、久々ヤベー奴登場したって感じだった。笑渡辺あや/A)中本さんと出会ってからの蓮くんの勢いがすごかった。「俺はこういうことがやりたかったんだ!」って急に喋り出して。笑N)笑える実を言うと支援はあやさんの存在が決め手だった。はっきり言ってあやさんが関わっているなら安心だと 、、ズバリ保険ね!!笑NHK朝の連続ドラマのスタートが8時15分から8時に時間帯が変わってからほとんど見てるんだけど、今までの作品の中で一番好きなのが「カーネーション」(*)だった。洋服がテーマだからアパレルで働いてる人間として身近な内容だったっていうのもあるけど、このドラマは朝の連ドラでは見た事ないスピード感で完成度が高いなと。当時、沢山の方にお勧めしてた。ドラマに感動してref.にコシノブランドをセレクトしようと思ったくらい。笑そういえば先日、来年新卒で採用を決めた学生さんから入社までの準備は何をしたらいいかと質問があって、「カーネーション」を見ておいてと伝えたら素晴らしい感想文が送られてきたよ。A)お役に立てて良かったです。---------------------(*)アーティスト支援:コロナ禍で苦しむアーティストを支援する目的で2020年3月にスタート。デビュー10年未満で中国地方に縁がある事が条件。昨年はさとうもかを支援。さとうもか/岡山出身のシンガーソングライター2020年4月から一年間の支援を行い、2021年5月にユニバーサルミュージックよりメジャーデビューをはたす(*)カーネーション:NHK連続テレビ小説 2011年10月〜放送デザイナーとして世界的に有名な「コシノ」一家をモデルにしたドラマ映画 × ファッションN)70年代とか80年代に比べると、今は日本映画自体がどちらかといえば低迷期になった気がする。役者が立って作品が立たないというか、、。例えば役所広司を出しとけばいい、みたいな。どんどん日本映画がダメになっていくんじゃないかって感じていた時に、若い人でこんな映画を撮りたい人がいるんだっていうことにすごく驚いた。S)その時代の映画は僕もよく観るんだけど、すごく深いですよね。理解しきれないものがそこにあるというか。今みたいに一回観たら全部理解できる映画ばっかりだとなんだかすごくもったいないなって。「逆光」を観た人から、『役者が良かった』じゃなくて『映画が良かった』と言われて、僕はそれがすごい嬉しかった。「あ、映画を見てもらえてる」って思えた。A)業界全体がとにかく売らないといけないという意識が強すぎて、回収できるものしかもはや許されてないって感じがする。本当はみんな好きで始めたんだから楽しみたいはずなのに、そんなことを考えたらいけない、みたいな妙なプレッシャーを持っていて。S)映画を作るのは〈楽しむ〉か、〈回収する〉かのどっちかになってしまっているけど、ほんとはその両方ができたら最高に面白いことだと思う。その楽しむことが前にありつつも回収するっていうのをすでに実践されているのが中本さんのすごいところの一つだと思う。N)いい事をやっていても知ってもらえないと長く続けることはできないからね。“須藤蓮監督”には長く映画を撮り続けて欲しいから。S)あやさんに見捨てられなければ大丈夫かなと。笑N)ところで、映画って80年代の撮り方と今って全然違うの?A)全然違いますね。カメラがフィルムじゃないとか。デジタルに変わって誰でも撮れるようになったけど、新しい才能がどんどん出てくるというわけではない。N)ファッション業界と似てるね。すごく作りやすい世の中っぽいじゃん、でも中々出てこない気がする。S)なんでだろう、、、でもコロナ明けたら若者が吹き出すかもしれないですよ。N)こういう不自由さを経験したら変わるかもしれないね。S)不自由なことからしか生まれてこないことがありますよね。フィルムって不自由じゃないですか。何回も撮れないとか。N)やっぱりフィルムって全然違う?S)全然違います。黒い色が。黒が潰れないから夜が撮れる。僕もほんとはフィルムで撮りたい。でも10倍費用がかかるんですよ。あとフィルムだと上映できる映画館が限られる。でも時間や手間はかかるけど、そのぶん良かったこともあるんだろうなって思ってて。それこそ便利になったからできないことが実は増えてる。デジタルになって大量生産できるようになったから、同時公開が可能になったけど、その分すぐに消費されて終わってる。N)洋服も天然染色だと同じ黒でもいい意味不均一だけど、化学染色だと1から100までフラットな黒にしかならない。それにフラットな洋服はどんどん作られて捨てられ終わっていくから、映画業界と全く同じだね。料理にしても七輪が電子レンジに変わって、便利になったけど本来の味からはどんどん遠のいているというか。S)だから今の映画って冷凍食品いっぱい作ってる感じというか。すぐ食べれるし、美味しいんだけど、文化じゃないっていうか。A)ファッションにも同じように感じてる。ここ何年かで急速に面白くなくなっちゃったなっていうか。お店を見てても全部同じ感じの服が並んでる気がしちゃって。N)昔はフリーで考えられることがいっぱいあった。これとこれを組み合わせてこんな感じで着るとか。でも今はどんどんカタログ化されてきた。一つのブランドが優しく親切にマニュアルをつくってくれる。そうするとコピーばっかり生まれてくる。そこがあやさんの言うつまんなさですかね。あとモノが溢れすぎてるのも一因かな。昔は欲しいと思ったものがなかなか手に入らなくて、そういう乏しさがあったから想像力が育まれたというか。A)そうですね、ファッションにももっと夢があった気がして。お店にいる店員さんがものすごく輝いて見えてたりとか。N)店員もペラペラなカタログ化してしまったなと。S)そういう意味でも太い文化に対する憧れがすごくあります。それこそ僕より上の世代とか、ずっと太いなって思うんで、ペラペラの自分がいやで。だから太い映画が作りたかった。語れる映画というか。渡辺あや × 須藤蓮N)あやさんはなんで蓮くんと一緒にやろうと思ったの?A)3年くらい前に私の脚本で、彼が役者として参加したことがあって。(*)S)僕の役者デビューの作品がそれだった。A)そこで関わっていく中で、彼自身の中にある強い意志とか考えが面白いなって。それと、役者さんっていうのはどうしても監督からの要求を受けてそれに応える、自分でコントロールできることがものすごく少ない仕事なんだけど、彼はそれがすごくしんどそうだった。ということは、やりたいようにやらせたらものすごい伸びていく子かもしれないと思って。それって単純に面白いじゃないですか。水をやったらどういう植物が育つんだろう、みたいなワクワク感というか。おっしゃるように業界全体がどんどん痩せ細っているけど、それってやっぱり若い力が出てくるような土壌がないってことかなと。それを誰も育ててこなかったっていう負い目もある。でももうやらなきゃいけないっていう気持ちがずっとあって。そしたらそれに応えるように、やる気満々で今にも暴れ出したくてしょうがないみたいな気持ちの若い子が現れたので、水をやってみたくなったというか。N)なるほど、確かに蓮くんは暴れてますね。50歳をすぎてくると育成とかバトンタッチとか、自分の遺伝子を誰かに、じゃないけど、なんかそういう気持ちが芽生えてくるよね。A)そっちの方が楽しくなってきますよね。S)監督をしようと思ったのは、僕が俳優に憧れなかったことも大きいと思う。そのかわりにあやさんみたいなディレクション側というか、モノを作る側への憧れとか興味がすごいあって、気付いたら周りにそういう面白い大人がたくさんいた。同世代と話しをしてても物足りないんですよ、「自分より面白い意見飛んでこねー」みたいな。お二人はもう経験してらっしゃるじゃないですか、どういうのがダメでどういうのがいいのかって。そういうのがわかってる人にぶつけたり聞いたりする方がどう考えても面白い。勉強にもなるし、作品にとってもプラスになることだし。あと、周りが若いやつばっかりなんですけど、その人たちと一緒にそういう話を聞いてお互いの才能を育てていきたいというか。N)蓮くんが凄いのは、自ら動いて広島で新しい人脈をどんどん作り上げていくところ。それで僕に『この人と仕事して』と宿題をどんどん投げてくる。俺もすでに繋がりがある人とやっていく方が簡単で楽なんだけど、そこに甘えさせてくれなかった。--------------------- (*)ワンダーウォール:NHK BSプレミアム 2018年7月〜放送廃寮の危機に瀕した京都の歴史ある学生寮「近衛寮」を舞台に、老朽化による建て替えを巡る大学側と寮生側との対立を描いた青春物語。2020年4月に劇場版を公開。「逆光」× これからN)逆光のプランはいつからあったの?A)ちょうどコロナになった時だから一年くらい前かな。だからそこからすごいスピードで進んでるよね。S)コロナになって仕事が全部吹っ飛んじゃって生まれた。やることないっていうもやもやした気持ちが創作意欲になったというか。N)尾道を撮影地に選んだのはなんで?A)毎年ある尾道映画祭で、去年の3月に私たちのドラマを映画化した作品の公開があって、そこに呼んでくださったんですよ。で、私と蓮くんとプロデューサーで行って、私は一泊で帰ったんですけど、蓮くんは3泊くらいして、その場所がすごく気に入ったみたいで。N)尾道のどこが良かったの?S)東京に無いなにかがあるというか。東京って観光地に行くと自分一人で楽しめるじゃないですか。尾道は誰かがいるんですよね。興味を持って遊びにきてくれる人。僕は出会いっていうのがすごく好きで。一期一会大好き人間というか。そこの人との出合いがすごく興奮する。そういうことがあるのがすごく嬉しくて。あと佇むところがいっぱいあるところとか。どこに座っても気持ちいい、いていいよっていう居場所感があるというか。N)広島でまた撮りたいと思う?S)機会があればまた撮りたいけど、尾道ではしばらく撮らないかな。僕はどちらかというと新鮮さを求めて彷徨ってる。同じところで作るのであればある程度時間をおかないと自分が楽しめないと思う。N)次作はどうなの?S)渋谷の恋愛ものです。現代物のパリピドラッグ映画です。笑実はこっちの方を先に考えてたんだけど、コロナの影響でクラブのシーンが撮れないってなって。それで急遽用意したのが「逆光」だった。N)渋谷の映画が飛んで、広島で監督デビューになったんだ。その監督デビューっていうのがなければここまでイベントが大きくなることがなかったかもしれないから、それもなにかの縁だね。S)二本目が逆光だったらこんな盛り上がんなかったと思う。やっぱり一本目じゃないとできなかったことがある気がして。だから今回はできることをできるだけやりたいなと思ってます。N)次作、出演オファーまだきてないよ?一同 大爆笑!!!須藤蓮:俳優1996年7月22日生まれ、東京都出身。京都発地域ドラマ『ワンダーウォール』主要キャストの1人として出演。映画「逆光」にて初めて監督を務める。出演作:連続テレビ小説 なつぞら (2019)、大河ドラマ いだてん~東京オリムピック噺~ (2019)、ワンダーウォール 劇場版 (2020)、蒲田前奏曲 (2020)渡辺あや:脚本家兵庫県出身。島根県在住。脚本作品:ジョゼと虎と魚たち(2003)、メゾン・ド・ヒミコ(2005)、連続テレビ小説 カーネーション(2011)、ワンダーウォール 劇場版(2020)映画「逆光」:尾道を舞台に70年代の三島文学のオマージュ同性愛を描く-----------------※ ref.ではアーティスト支援企画として、映画「逆光」公開に合わせ、7/16(金)より「ジャパニーズ ヌーヴェル ヴァーグ展」を開催。「逆光」にまつわる様々な展示と販売などが目白押しです。イベント詳細は「こちら」から。============================= Set in Onomichi, Hiroshima during the 1970s, 「逆光」/ Backlight is an homage film to Mishima literature portraying a same-sex love story. Various events have been planned in conjunction with the film’s release. As one of these events, Ren Sudo, making his debut as a...
  • No.02 MAISON EUREKA

    No.02 MAISON EUREKA

    中本健吾/以下 N) こういう対談は初めて? 中津由利加/以下 Y) 雑誌とかオンライン記事でのインタビューはあります。 N) WWDの記事は見たよ。じゃあローカルなお店と対談するのは初めてだね(笑) Y) そうですね(笑)こんな企画をやってるお店さんもないですよね。 N) この企画はうちの会社のWEBチームから、商品以外も掲載したいというリクエストがあって。やるなら店舗とリンクすることがいいなと思って、なにかトピックがある時に対談を組んで、相手の思い入れのある場所で行うことにしたの。今回は、4月11日からref.でMAISON EUREKAのpop-upイベントをやるので、その前に対談させてほしいと思って由利加ちゃんの住んでいるベルリンで1月頭にやろうと決まってたのに、私の年末年始の暴飲暴食が祟って出発2日前に緊急入院してしまい延期に。3月頭に予定を組んだらコロナでベルリンに行けずまたしても延期。。じゃあ由利加ちゃんが日本で展示会してるこのタイミングでやろうって事になって今日ようやく対談できます。ギリギリ(笑) Y) 急がないとですね(笑) N) そそ   N) 場所のリクエストがとんちゃん通りだったんだけど、どんな思い入れがあるの? Y) 私が初めて社会に出た場所です。高校を卒業してすぐに福岡から上京しました。 N) 東京に出たくてしょうがなかった? Y) そうですね。大学や専門学校に進学する意味がないと思っていて、すぐに社会に出たかった。 N) やりたいことが決まってる人はプロ野球みたいなもので、早く社会に出たほうがいいよね。ちなみに、福岡は街中の学校だったの? Y) 福岡市内です。私立の女子校でした。 N) それで、東京に出てきて、仕事はアパレルと決めていたの? Y) そうですね。高校生の頃からファッションが好きだったので。 N) どんな格好をしてたの? Y) 2つ上の兄の影響もあって、最初はアメカジから入って、その後ストリートファッションになりました。 N) GOODENOUGHとか? Y) その前にOLD NAVYとかRRLとか着ていて。それから、兄がGOODENOUGHとか着はじめて。 N) 福岡はGOODENOUGHの聖地だもんね。 Y) そうなんです。それで、兄が持っていたGOODENOUGHのシャツを勝手に着て怒られたりしてました(笑) N) そりゃ怒られるわ(笑)バリバリメンズファッションの王道を歩いてるね。由利加ちゃんがスカート履かない理由がわかった気がする。そのお兄さんは今何してるの? Y) 兄はシルバーアクセサリーの販売員として働いています。 N) じゃあオシャレ兄妹じゃね! Y) いやいや…。でも兄の方が地道にコツコツやる方ですね。ジュエリーコーディネーターの資格を取ったり、マイスターになって会社から表彰されたりしています。私よりすごいと思います。 N) すごいねー!兄弟はおひとり? Y) あと弟がいます。 N) 弟さんもファッション関係? Y) 弟はちがいます。 N) え、もしかして福岡でとんこつラーメンとか作ってたり?(笑) Y) そうです!!当てられたー!(笑)    N) そういえば、由利加ちゃんは広島に縁があって、お父様が広島の出身で、今もお祖母様が住んでるんだよね。 Y) そうです。 N) 行ったことある? Y) ありますよー!いつも家族で福岡から車で行ってました。  N) じゃあ久しぶりの広島だね。それと面白いのが、由利加ちゃんのno44時代の上司が僕の後輩(笑) Y) そうなんです!この前ばったりお会いしました! N) どんな感じだった?相変わらずスカしてた?(笑) Y) いえいえ(笑) N) 当時は怖かったの? Y) 昔からすごく優しい大先輩という感じでしたね。たぶんすごく年の差があって、私が子供だったので、優しく接してくれていたんだと思います。 N) そっかー。今なら一緒に仕事とかできそうなのにね。オファーないの? Y) ないです、、何か嫌われるようなことしたかな(笑) N) いやいや!あいつは後輩に頼らないっていうプライドがありそうだから(笑)   N) 最初にno44を辞めてからはどうしてたの? Y) ロンドンへ語学留学をしました。 N) バイヤーの仕事には語学が必要だと思ったの? Y) そうですね。会社にはすごく良くしてもらって、入社してすぐにパリとかミラノとか連れてってもらったんですけど、自分には荷物持つくらいしかできなくて。でも早くメインのバイヤーになりたいじゃないですか。ただ、その当時、自分より8才上の先輩がアシスタントとしていて、その方が次のメインバイヤーになるって考えた時に、このままここで5年とか働いていてもメインバイヤーにはなれないと思ったんです。実際、その頃の自分は本当に何もできていなかったので。だったら少しでも今とは違う環境で、今後に活かせる経験をしようと思って、留学を決めました。 N) それで、ロンドンを基点にバックパッカーで旅をしたりしたんだ? Y) はい。ロンドンには1年半くらいいたので、日本で貯めたお金で色々な経験をしました。 N) その後日本に帰ってきて、no44に戻ったんだよね?そこからはバイヤーの仕事をしてたの? Y) そうですね。メインバイヤーの先輩もいましたが、私もヨーロッパやLAに買い付けに行っていました。店長として店舗の業績を任されるようにもなったので、その時に感性を磨く仕事と、数字面を考える仕事の両方を経験できましたね。 N) その時は、お店は1階だけの時だった? Y) 2階もありました。 N) じゃあ既にとんちゃん通りで確固たる地位を築いていた時だね。そこでは何年やってたの? Y) 2年半ですね。その頃からH&Mとかファストファッションの流行が始まって、客層も変わってしまって。良いと思っていたものが急に受け入れられなくなってしまったんです。ただ、会社として絶対にかっこいいものをやっているという自負はありました。 N) no44はどなたが編集していたの?...
  • No.01 DESCENDANT

    No.01 DESCENDANT

    中本健吾/以下 N)何から話しますか? 西山徹(TET)/以下 T)DESCENDANT広島店のオープンの話にしましょうか? N)TETくんに広島への出店を決めてもらったけど、何が一番の決め手でした? T)広島のThe Trunk Market(以下 TTM)に2回出させて頂いて、地元のお客様との距離がとても近いなぁって思いました。他では体験したことがない近さでした。 N)普段はそんなにお客様と触れ合ってないのかな? T)パネルやワークショップ等もやってきているので、そんなこともないんですけど、やっぱり広島で感じた近さは独特なものでした。それは中本さんたちがずっと培ってきたコミュニティなんだなって思いました。 N)たぶんTTMが昼間っていうのもあるんだろうね。あと、ある程度歳をとったっていうのもあって、みんな丸くなってるっていうのもあるんじゃないかな。そこがたぶん近くさせてるんだろうね。前は独身だったけど、今はベビーカー押してくるみたいな。 T)あとはみなさん服がお好きですよね。 N)あぁそうね!よくお客様に「カタログでお酒が飲める」って言われる。 T)へー!(笑) N)ファンはね!これで今日一杯やりますわ、みたいなね(笑) T)楽しみにしてくれてるわけですね。 N)うん。これはレディースでは中々ない世界よね。 T)そうかもしれないですね。でも本当にTTMは大きなきっかけになりました。自分たちも色々とやってはいたつもりだったけど、まだまだだなぁって思いましたね。 N)いや、届いてるじゃん。 T)一番近い東京でやり切れていないなと。小さい区画ですけど店頭の軒先で野菜の販売をしたり、花見シーズンはコーヒーの提供をしたり、服の販売以外のところでお客様と接点を持つきっかけは作っています。この間は、写真家で友人の平野太呂が撮った写真を写真集にして、その展覧会をやりました。 N)なるほど。でもTTMは独特の距離感かもしれないね。様々なブランド、ショップが一堂に会してるし。何なんだろうなぁ。 T)客観的に見ると、すごく圧倒されます。 N)面白いのは、10代からファンだったお客様が、自分からTETくんに「写真撮って」とは絶対行かないの、だいたい奥さんが代わりに声をかけてる。あれは笑うなぁ。その後、僕のところに来て「ありがとう、TETさんに会えて嬉しかった」ってみなさんが言ってくれるんですよ。そういうのがあるから、みんなTTMを郷土の誇りみたいに感じてくれてるんだと思います。TETくんは袋町公園を知ってくれてるもんね。 T)そうですね。 N)今回その公園周りにお店をだしてもらうんで。 T)はい、縁のある気のいい場所ですね。 N)じゃあ、大変だけどTTMにまたでなくちゃいけないね(笑) T)そうですね(笑)  N)前から気になっていたんだけど、TETくんは東京・代官山出身だよね。案外僕が思うクリエイターって東京出身の人が少ないなぁって思っていて。昔から勝手なイメージがあって、クリエイティブなことをやる人は田舎の人って言っちゃいけないけど、東京ってやっぱりすべてのものがそろっているから、なかなかそういうものが根付かないというか、そういうイメージがあって。まぁ、東京でもユーミンみたいな八王子とかだったら別なのかもしれないけど。近いところでNIGOくんとJONIOくんは群馬でしょ?ヒロシさん(藤原ヒロシ氏)は伊勢でしょ。なんかそういうイメージが僕の中にはあるんだよね。 T)まぁそうですね、多いですよね。ただ、近いところで挙げるとSKATE THING、YOPPI、ムラジュン(村上淳氏)は東京です。もっといますね。 N)でもTETくんみたいに、東京のど真ん中出身の人いないでしょ?物心ついた時にはハリウッドランチマーケットあったでしょ? T)ありましたね。代官山にはそこしかなかったです。現在のASOとT-SITEは豪邸と駐車場でした。その駐車場でスケートボードをよくしていました。ムラジュンや、バーバルくんとかもいたと思います。 N)じゃあヒルサイドテラスのハリウッドランチマーケット側は開発してなかったってこと? T)商業施設は何もありません。ハリウッドランチマーケットとハイスタンダードしかなかったです。 N)じゃあ代官山は当時スケートボードメッカだったの? T)そうですね。T-SITE辺りの駐車場がスポットになっていたり、西郷山公園があって。あと、当時はヒロシくんが代官山に住んでいたので、やっぱり滑る拠点にはなっていましたね。 N)僕は代官山のヒルサイドテラスが大好きで。トムズサンドイッチも。だから東京に住んでいた時、代官山は好きな場所だったな。 T)東京に住んでたんですね!どこに住んでいたんですか? N)僕は武蔵小杉に住んでた。神奈川だけど。 T)そうだったんですね。起業したのが今のref.ですか? N)最初はHIGHBRIDっていうお店。94年だったかな。呉でスタートした。 T)あ、そうでしたね! N)そうそう。代官山はちょうど僕がいた頃、ファッションが開発されていて。 T)90年代になって、ようやくショップやレストランとかが出来始めたんですよね。 N)そうね。だから、僕にとって代官山はトムズサンドイッチや小川軒もあって大好きなエリアです。 T)トムズサンドイッチは去年なくなっちゃいましたね。昔、トムズホットドックってあったのご存知ですか? N)知らない! T)あったんですよ、八幡通りに。80年代くらいでしたかね。 N)そんなTETくんは若い頃、何に1番影響を受けたの? T)そうですね…確実に言えるのは、ヒロシくんやSKATE THINGとかですね。元々はスケートボードやUSのユースカルチャーは好きだったんですけど、彼らから直接影響を受ける方が、近道でもあり、ハイブリッドでもあり今のストリートファッションの先駆者でした。 N)それはTETくんが何歳ぐらい? T)13-4才ですね。ただ、そうなると早く大人になりたくて。今思うとそれはちょっともったいなかったなって。生き急ぎました(笑)でもそこが情報源でしたし、刺激をもらって、色々と学んでましたね。 N)やっぱりお二方の影響が1番強い? T)その後、NIGOくんと知り合って。彼がNOWHEREを立ち上げて、僕とSKATE THINGがやっていたFORTY PERCENT AGAINST RIGHTS(以下FPAR)を彼のお店で取り扱ってくれることになったのがきっかけなので、やっぱりNIGOくんも大きな存在ですね。 N)伸ちゃん(滝沢伸介氏)とはいつ知り合ったの? T)15-6才くらいに、たしかヒロシくんの家で会ったんですよね。当時、ペット伸ちゃんって呼ばれていて、爬虫類を飼ってて。ヒロシくんも爬虫類好きじゃないですか。 N)僕もヒロシさんとオオサンショウウオ見に行ったことがある。...
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