• No.4 guépard

    No.4 guépard

    中本)今回は宜しくお願いします。柳原)お願いします。中本)まずはブランドの成り立ちから。guépardは柳原くん・山村くん・比嘉くんの3人のメンバーで運営されてるけど、みんなが知り合ったきっかけは?柳原)最初から話すと、僕が独立するために「金子眼鏡」を辞めて地元の北海道・札幌に戻ってきたときに、ARCH(※1) のオーナーから地下の物件が空いてるからどう?って声をかけてもらって。中本)僕と柳原くんが初めて会ったのもその場所だったよね。柳原)そうでしたね。僕はずっとフランスのヴィンテージの眼鏡やりたかったんですけど、それを仕入れるツテがなくて。で、ネットでフランスヴィンテージのディーラー誰かいないかなって探してたら、フランスの眼鏡がズラーっと並んだ、全部英文のサイトが出てきたんですよ。で卸しをやってるのかってメールで問い合わせしたら、すぐに問合せ先から電話がかかってきて、、それが山村でした。中本)それが出会いなんじゃ。笑柳原)めちゃめちゃ関西弁のやつから電話がかかってきたんですよ。笑「え?海外じゃないんですか?」って聞いたら、「いや、僕神戸なんですよ。」って。それで連絡もらって1週間くらいで直接神戸に行って、そこでフランスのヴィンテージ眼鏡をちょっと買わせてもらって。で、二人で「やっぱりヴィンテージ眼鏡の中でもフランスのがかっこいいよね」って言ってて。中本)ヴィンテージってところに気付くのだいぶ早かったよね。柳原)早かったと思いますね。中本)山村くんはさらに早かったね。柳原)そうです、多分世界で一番早かったんじゃないですかね。彼は二十代前半アメリカ在住の時期からフランスヴィンテージだけでなく70’sから90’sのCAZAL(カザール), ALPINA(アルピナ), MIKLI(ミクリ), PERSOL(ペルソール), RAYBAN(レイバン)などのアイウェアブランドや、TART(タート), AO(アメリカンオプティカル),SHURON(シュロン)などのアメリカヴィンテージも収集していたようです。それまではアメリカのヴィンテージ眼鏡がすごくブームで。アメリカのヴィンテージって車と一緒で、ぱっと見はやっぱり格好いいんですよ、デカいとか、ゴツいとか。なんですけど、フランスのヴィンテージの眼鏡ってちょっとしたディテールが凝ってたりとか、ぱっと見は分からないんだけど、掘り下げていくとこんな作りしてたんだ、とか。なんかそういったところで二人で盛り上がってたんですよ。それでフランスのヴィンテージを山村は神戸で、僕は札幌で扱うようになって。そこから3年くらいした2015年ですかね。ヴィンテージって古着もそうなんですけど、必ず枯渇するじゃないですか。なのでやっぱり何かブランドを立ち上げていかないとっていう思いもあって。中本)そこに比嘉くんはまだ入ってないの?柳原)まだ入ってないです。ちょうど比嘉が自分でオーダーメイドの眼鏡を売るっていうお店を立ち上げたばっかりで、こっちにジョイントしない考えだったんです。なので最初は僕と山村の二人でやってました。比嘉は元々販売ではあるんですけど、そんなお店をやってるので職人側の人間でもあって。そんな比嘉のツテでいろんな眼鏡工場とか職人さんとか紹介してもらいました。それで一発目を作ったんですけど、やっぱり全然納得のいくものはできなくて。それだったら比嘉に作って貰えばいいんじゃないかと。で、僕と山村が出したサンプルをそのまま作ってもらいました。それくらいからguépardも少しずつ売れてきて。そしたら今度は外注先だった比嘉がもう手一杯になっちゃって、これ以上作れないと。そこでようやく比嘉が、そんな本腰入れてやるんだったら自分も一緒にやりたい、と言ってくれて。中本)そこで加わったんだ。柳原)そうですね、それまでは比嘉はあくまで外注先でしかなかったんですけど、それだったらもう三人で会社としてやろうと。それが2017年だったと思います。ある程度売れる数量とか、そういうのを見越して魅力的に映ったのか、僕と山村がわちゃわちゃしてる感じが良かったのかはわかんないですけど。笑2015年にスタートして、リリースしたのが2016年、で2017年に比嘉が入って今の状態になりました。だから、僕と山村の出会いがなかったら多分なかったですね。中本)そうだね。柳原)だからちょっと不思議な縁というか、タイミングというか。 ※1) ARCH…国内外のブランドとヨーロッパヴィンテージを扱う老舗セレクトショップ。札幌と東京に店を構える。 中本)ところで柳原くんのルーツってなんなの?ちなみに僕は「クリームソーダ(※2)」 なんだけど。。わかる?柳原)“クリソー”ですね。中本)そう、略して”クリソー”。なんか最近自分のルーツはなにかなと考えてたら、中学校の時のエピソードを思い出してさ。その頃、クリームソーダの長財布にチェーンつけて、胸ポケットにはコームを差して学校行ってたら「めっちゃかっこいいじゃん、それ!」って言われるようになって。「じゃあオレ通販まとめてしてやるわ」って、学校にカタログ持っていってオーダー取ってお金集めて現金書留で送って。それでクリームソーダのショップから商品届いたときに箱を開けると、中に非売品のプレゼントが入ってるわけ。それが嬉しくてね、そりゃみんなに営業するよね、笑それが僕の販売のルーツ、いわば『エンドユーザー側とメーカー側の両方に喜んでもらおう』っていう想いの根幹だと思うんよね。そんなところで柳原くんのルーツってなんだったのかなって思って。柳原)僕は、両親がもともとVAN(ヴァン)とかJUN(ジュン)とか着てて。VANはアメリカっぽくて、JUNはヨーロッパな感じでしたよね。両親がそういうコートとかをよく着ていて。中本)めっちゃ優等生じゃん。柳原)フランスで買ったCourreges(クレージュ)のニットがあったりとか。それでちょっと上品で洗練されてるヨーロッパのものが好きになりましたね。僕、生まれが北海道芦別市ってとこなんですけど、富良野の左隣辺りですね。昔は炭鉱があったので裕福でそういう人たち相手の洋服屋さんもあったらしいんですよ。中本)そうゆうお店って絶対VAN入ってたもんね。柳原)そうなんですよ。そういうのが両親とも好きで買ってて。思春期の中学3年生くらいの時に炭鉱も閉鎖しちゃって、買うところがなくなって。それで朝一のバスに乗って札幌に買い物に出てました。そこで両親の影響じゃないですけどアダムエロペで洋服を買うようになったってゆう感じですね。※2) クリームソーダ… 原宿文化を創り上げたと云われるロカビリーファッションブランド。当時も広島に販売店舗は無く、東京のショップへの通販のみで購入が出来た。 (ここで山村氏・比嘉氏も加わる) 中本)山村くんのルーツは?山村)僕BOON世代だったので、KNOCKOUTとか行ってましたね。JUNKSHOPとかも行ってましたし。(※3)中本)神戸は言わば“古着のメッカ”だもんね。山村)元々はそうですね、強かったですね。そっからはVIA BUS STOPにいったんですよ。中本)モードに入ったんだね。山村くんはずっと眼鏡屋さんなの?山村)最初はアメリカのアパレルで働いてました。でメガネはずっと好きで、ずっと見てたんですよ。中本)アメリカのどこにいたの?山村)最初テキサス、次ニューヨークですね。中本)アパレルはセレクトショップ?山村)委託販売のお店でした。色々あって、すごい古いハイブランドものだったり、最新のモデルもあったりとすごい面白くて。アメリカ時代は古いものからデザイナーものまで買ってましたね。中本)そのあと戻ってきて眼鏡?山村)むこうで個人で収集と販売をやってたんですよ。その頃はフランスヴィンテージだけじゃなくて、30年代から90年代までの様々なヴィンテージを収集していました。あとは仲良い友達に頼まれて買ったりとか。中本)へぇ、面白いね。やっぱり色々やってきてるんだね。 中本)比嘉くんのルーツはどうなの?比嘉)どうだったですかね。。服とか何着てたんでしょうか。。中本)なにかは着てたでしょ。なにか着てないとこんなに個性的にはならないでしょ。一同大笑中本)中学でそういうのに目覚めて買いだしたとか。比嘉)そうですね、Barbour(バブアー)とか買ってましたね。。中本)高校生は?比嘉)高校生は古着買ってました。山村)バンドやってましたもんね。比嘉)そうですね、、ベルボトムとか履いてましたね。中本)バンドはなんのコピーやってたの?比嘉)高校生のとき初めてやったのはTHEE MICHELLE GUN ELEPHANT(ミッシェル•ガン•エレファント)。あの感じが好きで、細身のジーンズとか履いてましたね、、懐かしい。。。めっちゃ恥ずかしい写真いっぱいありますよ。笑中本)そりゃみんなでしょ。笑比嘉)黒歴史。笑中本)ルーツって面白いね。柳原)結局それが根っこの部分ってことですよね。中本)何が好きだったかっていうのがね。柳原)まぁ良い言葉で言うと多様性というか、そういうことですよね。比嘉)そういう歴史を内包してるってことですね。中本)比嘉くんはなんで職人になったの?比嘉)いや、ただ憧れてましたね。元々は販売員だったんですよ、バイイングしたり。そのまま独立して、大阪と三宮の2店舗で眼鏡屋をやってまして。中本)やり手じゃん。比嘉)実はそっちが始まりなんですよね。その間に2人と話をする機会が結構多くて。憧れるんですよね、なんか作れる人かっこいいし。それで、自分で作って売るっていうオーダーメイドの眼鏡をやりたいと。周りは「そんなん素人が出来るわけないやん」って言ってましたけど、「そんなん出来たらかっこええやん」って。そんな些細なところから始まりましたね。中本)職人がメンバーにいるのは強いよね。柳原)三人でジョイントしてからが本格的なスタートになりました。今でももちろん十分大変なんですけど、ようやくブランドっぽくなってきたのかなと。中本)すごい売れてるよね。ref.で扱ってるから肌で感じてるんだけど、お客様の方から目指してきてくれる。あと他のサングラスメーカーってやっぱりどっちかっていうとちょっとアメリカ寄りに僕は見えてて。でもギュパールは一人違う方を向いているっていうのが、一人勝ちなとこがあるよなと思ってる。で、こうなってくると似たやつが出てくるよね。柳原)出てきてますね。いろんなブランドさん見ても明らかにこれ僕らのやってきてるのをサンプリングしてるよなとか。あとフレームのデザインも含めて、これ完全に意識してるなっていうのが感じれますね。中本)それについてはどう思う?柳原)いや、全然いいことだと思ってますね。僕らはアーカイブ本としてFrame France (※4)という書籍をguépard発足より前に作ったりしてて、その書籍は全部分解してネジ1本まで原寸大で載せているんです。分かりやすく言うと、それを買った人がサンプリングしてもいいし、コピーも作れちゃう。だからそういうのが世にどんどん出てって、認知されるっていうのは決してネガティブなことではないかなと。中本)まあ元々がサンプリングだもんね。柳原)そうですね。ただ僕らは分解、採寸、撮影まで全てこなしたので、より深くフレンチヴィンテージの細かいディテールや魅力に気付けましたね。中本)僕もそういうのすごくいいなと思っていて、やっぱり”パイオニア”でいれば良いっていつも思ってる。コピーというか似たようなことをやる人って、結局それが簡単でよく売れるから近いところにあるのをサンプリングしてやっていくじゃない。でもそこに魂が入ってないからすぐ売れなくなるし、売れなくなるとすぐやめちゃう。そういうところで魂の無いコピーを買っていた人は、guépardがオリジネーターだったんだって結局こっちにやって来る。でも全体のパイがすごく大きくなるから一概にダメってことはないんだけどね。そういうブランドがいっぱい出ることがguépardにとってもすごくいいことだと思う。柳原)僕らもそうやってポジティブな方に捉えてます。最近ようやくいろんなブランドでフランスのヴィンテージのエッセンスをちょっと抽出したようなデザインだとか、そういうのを見かけると、ようやくちょっと認められてきたのかなと。  ※3) KNOCKOUT / JUNKSHOP…神戸トアウエストの古着カルチャーを代表する老舗ショップ※4) Frame France…世界で初めてフレームフランスを掲載したヴィンテージアーカイブブック。( https://guepard.jp/products/frame-france ) 中本)そんなguépardの眼鏡の特徴ってどんなところか聞いておこうかな?柳原)フランスのヴィンテージならではですけど、エッジの立ったディテールだとか、ぱっと見ではわかりにくいところが僕ららしい。角張っていたり、曲線があったり。当時のオリジナルのディテールを詰め込んでます。そこは再現が非常に難しいところでもあるんですけど。分かりにくさと分かり易さ、そこが僕ららしいところですね。中本)フランスヴィンテージのブームって物を創るクリエイターからきたよね 。柳原)コルビジェとかの影響ですよね。中本)そうそう。僕の周りのクリエイターがフランスヴィンテージの眼鏡をかけ始めたな、と思ってたらguépardが現れた。なんかフランスの家具とかと精通するところがあるよね。物作りの人が好む、欲しくなる眼鏡。柳原)ぱっと見のわかりにくさとかもあるかもしれないですね。どれも僕らにとっては思い入れがありますね。 中本)去年(2021年)の10月にここ神戸でオンリーショップ1号店ができたけど、神戸スタートっていうのはやっぱり山村さんのお膝元っていうか、やりやすい感じがあったから?柳原)そうですね、guépardはプロダクト的にも優れていると思ってますが、ブランドの核となるところは本当のヴィンテージを知っているかというところだと思っています。ちょうど良いタイミングで山村と比嘉のお店があるビルに空きの物件ができて、その核となる世界観や生産の背景を見せることが、よりブランドの強みになると思い、ここに1号店を構えることにしました。中本)場所で言ったら神戸の中では街中からちょっと外れたところだよね。柳原)この辺はお店もないですしね。中本)じゃあもうお客様は完璧にここを目的で来られるって感じだよね。柳原)そうですね。もしかしたらここが三宮の中心部とかだったら、よりセールスがいいのかもしれないですけど。僕らとしてはやっぱり、僕らの考えてることとか頭の中というか、そういうのを体感してもらうにはここしかないと思いました。中本)今後はオンリーショップの展開が中心かな。柳原)まだ公表は出来ないですけど、良い意味で期待を裏切るような構想も進んでいます。売れ方の中身というか、クオリティーというか、ただ売れればいいんじゃなくて、売れ方のクオリティーをどう高めていくことができるか。やっぱり僕ららしいところはブレずに。買う人が僕らの世界観とかをもっと感じれるようなクオリティの高い売れ方、売り方をしていきたいなっていうのはありますね。広島もチャンスがあれば。笑中本)広島でやらせてもらおうかな。笑箕本さん(帯同ref.スタッフ)チャンスじゃん。彼は元々神戸の眼鏡屋で働いてたんだけど、今回「一緒に神戸取材行かしてくださいっ!」って志願してきて。先日、面談で「目標ないの?」って聞いたら「眼鏡とコーヒーのお店やりたいです」って。「じゃ〜それ目標にしんさい」ってなったのよ。笑柳原)箕本さんチャンスですね。中本)なにニヤっとしよん。笑一同大笑中本)では今日はありがとうございました。柳原・山村・比嘉)ありがとうございました。 -about-guépard2016年 ブランドスタート2021年10月 ブランド創設初の直営店となるブティックを、神戸北野SPEAKEASY隣にオープン。https://guepard.jphttps://www.instagram.com/guepard_jp/ ref. / Web Store  商品一覧   Kengo Nakamoto / referred to as N) Thank you for coming today.Kazuki Yanagihara / referred to as YH) Thank you for having me.N) Let’s start...
  • No.03 映画「逆光」

    No.03 映画「逆光」

    尾道を舞台に70年代の三島文学をオマージュし、同性愛を描いた映画「逆光」。映画に合わせて様々なイベントを企画。そのイベントの一つとして、この作品が監督デビューとなる須藤蓮、脚本を手掛けた渡辺あやとref.の中本健吾が本音で熱く語り合った。映画「逆光」× ref. ー支援を決めたきっかけー中本健吾/N)去年の4月にスタートさせたアーティスト支援(*)が終了間近の今年3月、次は誰を応援しようか考えてた時にちょうど袋町公園で知り合いを通じて紹介されたのがきっかけ。蓮くんの第一印象はもの凄い元気だなと、久しぶりに若い圧を感じた(笑)それと映画というものに携わったことがなかったから知らない領域に足を踏み入れるのも刺激的だと思った、コロナだし。須藤蓮/S)初めてお店の前を通った時、ほんとカッコ良くて。ref.のこと全然知らなかったけど、あのガラス張りのとこでイベントができたらベストなんだけどなってずっと思ってた。そしたらこっちのチームに中本さんにつながる人がいて、ほんとに驚きました。N)それは、嬉しい。うちの店(ref.)は看板もないから必ず『袋町公園にあるガラス張りの店』って呼ばれてる。しかし蓮くんは時間関係なく(24時間)思いついたときに電話してくるから、久々ヤベー奴登場したって感じだった。笑渡辺あや/A)中本さんと出会ってからの蓮くんの勢いがすごかった。「俺はこういうことがやりたかったんだ!」って急に喋り出して。笑N)笑える実を言うと支援はあやさんの存在が決め手だった。はっきり言ってあやさんが関わっているなら安心だと 、、ズバリ保険ね!!笑NHK朝の連続ドラマのスタートが8時15分から8時に時間帯が変わってからほとんど見てるんだけど、今までの作品の中で一番好きなのが「カーネーション」(*)だった。洋服がテーマだからアパレルで働いてる人間として身近な内容だったっていうのもあるけど、このドラマは朝の連ドラでは見た事ないスピード感で完成度が高いなと。当時、沢山の方にお勧めしてた。ドラマに感動してref.にコシノブランドをセレクトしようと思ったくらい。笑そういえば先日、来年新卒で採用を決めた学生さんから入社までの準備は何をしたらいいかと質問があって、「カーネーション」を見ておいてと伝えたら素晴らしい感想文が送られてきたよ。A)お役に立てて良かったです。---------------------(*)アーティスト支援:コロナ禍で苦しむアーティストを支援する目的で2020年3月にスタート。デビュー10年未満で中国地方に縁がある事が条件。昨年はさとうもかを支援。さとうもか/岡山出身のシンガーソングライター2020年4月から一年間の支援を行い、2021年5月にユニバーサルミュージックよりメジャーデビューをはたす(*)カーネーション:NHK連続テレビ小説 2011年10月〜放送デザイナーとして世界的に有名な「コシノ」一家をモデルにしたドラマ映画 × ファッションN)70年代とか80年代に比べると、今は日本映画自体がどちらかといえば低迷期になった気がする。役者が立って作品が立たないというか、、。例えば役所広司を出しとけばいい、みたいな。どんどん日本映画がダメになっていくんじゃないかって感じていた時に、若い人でこんな映画を撮りたい人がいるんだっていうことにすごく驚いた。S)その時代の映画は僕もよく観るんだけど、すごく深いですよね。理解しきれないものがそこにあるというか。今みたいに一回観たら全部理解できる映画ばっかりだとなんだかすごくもったいないなって。「逆光」を観た人から、『役者が良かった』じゃなくて『映画が良かった』と言われて、僕はそれがすごい嬉しかった。「あ、映画を見てもらえてる」って思えた。A)業界全体がとにかく売らないといけないという意識が強すぎて、回収できるものしかもはや許されてないって感じがする。本当はみんな好きで始めたんだから楽しみたいはずなのに、そんなことを考えたらいけない、みたいな妙なプレッシャーを持っていて。S)映画を作るのは〈楽しむ〉か、〈回収する〉かのどっちかになってしまっているけど、ほんとはその両方ができたら最高に面白いことだと思う。その楽しむことが前にありつつも回収するっていうのをすでに実践されているのが中本さんのすごいところの一つだと思う。N)いい事をやっていても知ってもらえないと長く続けることはできないからね。“須藤蓮監督”には長く映画を撮り続けて欲しいから。S)あやさんに見捨てられなければ大丈夫かなと。笑N)ところで、映画って80年代の撮り方と今って全然違うの?A)全然違いますね。カメラがフィルムじゃないとか。デジタルに変わって誰でも撮れるようになったけど、新しい才能がどんどん出てくるというわけではない。N)ファッション業界と似てるね。すごく作りやすい世の中っぽいじゃん、でも中々出てこない気がする。S)なんでだろう、、、でもコロナ明けたら若者が吹き出すかもしれないですよ。N)こういう不自由さを経験したら変わるかもしれないね。S)不自由なことからしか生まれてこないことがありますよね。フィルムって不自由じゃないですか。何回も撮れないとか。N)やっぱりフィルムって全然違う?S)全然違います。黒い色が。黒が潰れないから夜が撮れる。僕もほんとはフィルムで撮りたい。でも10倍費用がかかるんですよ。あとフィルムだと上映できる映画館が限られる。でも時間や手間はかかるけど、そのぶん良かったこともあるんだろうなって思ってて。それこそ便利になったからできないことが実は増えてる。デジタルになって大量生産できるようになったから、同時公開が可能になったけど、その分すぐに消費されて終わってる。N)洋服も天然染色だと同じ黒でもいい意味不均一だけど、化学染色だと1から100までフラットな黒にしかならない。それにフラットな洋服はどんどん作られて捨てられ終わっていくから、映画業界と全く同じだね。料理にしても七輪が電子レンジに変わって、便利になったけど本来の味からはどんどん遠のいているというか。S)だから今の映画って冷凍食品いっぱい作ってる感じというか。すぐ食べれるし、美味しいんだけど、文化じゃないっていうか。A)ファッションにも同じように感じてる。ここ何年かで急速に面白くなくなっちゃったなっていうか。お店を見てても全部同じ感じの服が並んでる気がしちゃって。N)昔はフリーで考えられることがいっぱいあった。これとこれを組み合わせてこんな感じで着るとか。でも今はどんどんカタログ化されてきた。一つのブランドが優しく親切にマニュアルをつくってくれる。そうするとコピーばっかり生まれてくる。そこがあやさんの言うつまんなさですかね。あとモノが溢れすぎてるのも一因かな。昔は欲しいと思ったものがなかなか手に入らなくて、そういう乏しさがあったから想像力が育まれたというか。A)そうですね、ファッションにももっと夢があった気がして。お店にいる店員さんがものすごく輝いて見えてたりとか。N)店員もペラペラなカタログ化してしまったなと。S)そういう意味でも太い文化に対する憧れがすごくあります。それこそ僕より上の世代とか、ずっと太いなって思うんで、ペラペラの自分がいやで。だから太い映画が作りたかった。語れる映画というか。渡辺あや × 須藤蓮N)あやさんはなんで蓮くんと一緒にやろうと思ったの?A)3年くらい前に私の脚本で、彼が役者として参加したことがあって。(*)S)僕の役者デビューの作品がそれだった。A)そこで関わっていく中で、彼自身の中にある強い意志とか考えが面白いなって。それと、役者さんっていうのはどうしても監督からの要求を受けてそれに応える、自分でコントロールできることがものすごく少ない仕事なんだけど、彼はそれがすごくしんどそうだった。ということは、やりたいようにやらせたらものすごい伸びていく子かもしれないと思って。それって単純に面白いじゃないですか。水をやったらどういう植物が育つんだろう、みたいなワクワク感というか。おっしゃるように業界全体がどんどん痩せ細っているけど、それってやっぱり若い力が出てくるような土壌がないってことかなと。それを誰も育ててこなかったっていう負い目もある。でももうやらなきゃいけないっていう気持ちがずっとあって。そしたらそれに応えるように、やる気満々で今にも暴れ出したくてしょうがないみたいな気持ちの若い子が現れたので、水をやってみたくなったというか。N)なるほど、確かに蓮くんは暴れてますね。50歳をすぎてくると育成とかバトンタッチとか、自分の遺伝子を誰かに、じゃないけど、なんかそういう気持ちが芽生えてくるよね。A)そっちの方が楽しくなってきますよね。S)監督をしようと思ったのは、僕が俳優に憧れなかったことも大きいと思う。そのかわりにあやさんみたいなディレクション側というか、モノを作る側への憧れとか興味がすごいあって、気付いたら周りにそういう面白い大人がたくさんいた。同世代と話しをしてても物足りないんですよ、「自分より面白い意見飛んでこねー」みたいな。お二人はもう経験してらっしゃるじゃないですか、どういうのがダメでどういうのがいいのかって。そういうのがわかってる人にぶつけたり聞いたりする方がどう考えても面白い。勉強にもなるし、作品にとってもプラスになることだし。あと、周りが若いやつばっかりなんですけど、その人たちと一緒にそういう話を聞いてお互いの才能を育てていきたいというか。N)蓮くんが凄いのは、自ら動いて広島で新しい人脈をどんどん作り上げていくところ。それで僕に『この人と仕事して』と宿題をどんどん投げてくる。俺もすでに繋がりがある人とやっていく方が簡単で楽なんだけど、そこに甘えさせてくれなかった。--------------------- (*)ワンダーウォール:NHK BSプレミアム 2018年7月〜放送廃寮の危機に瀕した京都の歴史ある学生寮「近衛寮」を舞台に、老朽化による建て替えを巡る大学側と寮生側との対立を描いた青春物語。2020年4月に劇場版を公開。「逆光」× これからN)逆光のプランはいつからあったの?A)ちょうどコロナになった時だから一年くらい前かな。だからそこからすごいスピードで進んでるよね。S)コロナになって仕事が全部吹っ飛んじゃって生まれた。やることないっていうもやもやした気持ちが創作意欲になったというか。N)尾道を撮影地に選んだのはなんで?A)毎年ある尾道映画祭で、去年の3月に私たちのドラマを映画化した作品の公開があって、そこに呼んでくださったんですよ。で、私と蓮くんとプロデューサーで行って、私は一泊で帰ったんですけど、蓮くんは3泊くらいして、その場所がすごく気に入ったみたいで。N)尾道のどこが良かったの?S)東京に無いなにかがあるというか。東京って観光地に行くと自分一人で楽しめるじゃないですか。尾道は誰かがいるんですよね。興味を持って遊びにきてくれる人。僕は出会いっていうのがすごく好きで。一期一会大好き人間というか。そこの人との出合いがすごく興奮する。そういうことがあるのがすごく嬉しくて。あと佇むところがいっぱいあるところとか。どこに座っても気持ちいい、いていいよっていう居場所感があるというか。N)広島でまた撮りたいと思う?S)機会があればまた撮りたいけど、尾道ではしばらく撮らないかな。僕はどちらかというと新鮮さを求めて彷徨ってる。同じところで作るのであればある程度時間をおかないと自分が楽しめないと思う。N)次作はどうなの?S)渋谷の恋愛ものです。現代物のパリピドラッグ映画です。笑実はこっちの方を先に考えてたんだけど、コロナの影響でクラブのシーンが撮れないってなって。それで急遽用意したのが「逆光」だった。N)渋谷の映画が飛んで、広島で監督デビューになったんだ。その監督デビューっていうのがなければここまでイベントが大きくなることがなかったかもしれないから、それもなにかの縁だね。S)二本目が逆光だったらこんな盛り上がんなかったと思う。やっぱり一本目じゃないとできなかったことがある気がして。だから今回はできることをできるだけやりたいなと思ってます。N)次作、出演オファーまだきてないよ?一同 大爆笑!!!須藤蓮:俳優1996年7月22日生まれ、東京都出身。京都発地域ドラマ『ワンダーウォール』主要キャストの1人として出演。映画「逆光」にて初めて監督を務める。出演作:連続テレビ小説 なつぞら (2019)、大河ドラマ いだてん~東京オリムピック噺~ (2019)、ワンダーウォール 劇場版 (2020)、蒲田前奏曲 (2020)渡辺あや:脚本家兵庫県出身。島根県在住。脚本作品:ジョゼと虎と魚たち(2003)、メゾン・ド・ヒミコ(2005)、連続テレビ小説 カーネーション(2011)、ワンダーウォール 劇場版(2020)映画「逆光」:尾道を舞台に70年代の三島文学のオマージュ同性愛を描く-----------------※ ref.ではアーティスト支援企画として、映画「逆光」公開に合わせ、7/16(金)より「ジャパニーズ ヌーヴェル ヴァーグ展」を開催。「逆光」にまつわる様々な展示と販売などが目白押しです。イベント詳細は「こちら」から。============================= Set in Onomichi, Hiroshima during the 1970s, 「逆光」/ Backlight is an homage film to Mishima literature portraying a same-sex love story. Various events have been planned in conjunction with the film’s release. As one of these events, Ren Sudo, making his debut as a...
  • No.02 MAISON EUREKA

    No.02 MAISON EUREKA

    中本健吾/以下 N) こういう対談は初めて? 中津由利加/以下 Y) 雑誌とかオンライン記事でのインタビューはあります。 N) WWDの記事は見たよ。じゃあローカルなお店と対談するのは初めてだね(笑) Y) そうですね(笑)こんな企画をやってるお店さんもないですよね。 N) この企画はうちの会社のWEBチームから、商品以外も掲載したいというリクエストがあって。やるなら店舗とリンクすることがいいなと思って、なにかトピックがある時に対談を組んで、相手の思い入れのある場所で行うことにしたの。今回は、4月11日からref.でMAISON EUREKAのpop-upイベントをやるので、その前に対談させてほしいと思って由利加ちゃんの住んでいるベルリンで1月頭にやろうと決まってたのに、私の年末年始の暴飲暴食が祟って出発2日前に緊急入院してしまい延期に。3月頭に予定を組んだらコロナでベルリンに行けずまたしても延期。。じゃあ由利加ちゃんが日本で展示会してるこのタイミングでやろうって事になって今日ようやく対談できます。ギリギリ(笑) Y) 急がないとですね(笑) N) そそ   N) 場所のリクエストがとんちゃん通りだったんだけど、どんな思い入れがあるの? Y) 私が初めて社会に出た場所です。高校を卒業してすぐに福岡から上京しました。 N) 東京に出たくてしょうがなかった? Y) そうですね。大学や専門学校に進学する意味がないと思っていて、すぐに社会に出たかった。 N) やりたいことが決まってる人はプロ野球みたいなもので、早く社会に出たほうがいいよね。ちなみに、福岡は街中の学校だったの? Y) 福岡市内です。私立の女子校でした。 N) それで、東京に出てきて、仕事はアパレルと決めていたの? Y) そうですね。高校生の頃からファッションが好きだったので。 N) どんな格好をしてたの? Y) 2つ上の兄の影響もあって、最初はアメカジから入って、その後ストリートファッションになりました。 N) GOODENOUGHとか? Y) その前にOLD NAVYとかRRLとか着ていて。それから、兄がGOODENOUGHとか着はじめて。 N) 福岡はGOODENOUGHの聖地だもんね。 Y) そうなんです。それで、兄が持っていたGOODENOUGHのシャツを勝手に着て怒られたりしてました(笑) N) そりゃ怒られるわ(笑)バリバリメンズファッションの王道を歩いてるね。由利加ちゃんがスカート履かない理由がわかった気がする。そのお兄さんは今何してるの? Y) 兄はシルバーアクセサリーの販売員として働いています。 N) じゃあオシャレ兄妹じゃね! Y) いやいや…。でも兄の方が地道にコツコツやる方ですね。ジュエリーコーディネーターの資格を取ったり、マイスターになって会社から表彰されたりしています。私よりすごいと思います。 N) すごいねー!兄弟はおひとり? Y) あと弟がいます。 N) 弟さんもファッション関係? Y) 弟はちがいます。 N) え、もしかして福岡でとんこつラーメンとか作ってたり?(笑) Y) そうです!!当てられたー!(笑)    N) そういえば、由利加ちゃんは広島に縁があって、お父様が広島の出身で、今もお祖母様が住んでるんだよね。 Y) そうです。 N) 行ったことある? Y) ありますよー!いつも家族で福岡から車で行ってました。  N) じゃあ久しぶりの広島だね。それと面白いのが、由利加ちゃんのno44時代の上司が僕の後輩(笑) Y) そうなんです!この前ばったりお会いしました! N) どんな感じだった?相変わらずスカしてた?(笑) Y) いえいえ(笑) N) 当時は怖かったの? Y) 昔からすごく優しい大先輩という感じでしたね。たぶんすごく年の差があって、私が子供だったので、優しく接してくれていたんだと思います。 N) そっかー。今なら一緒に仕事とかできそうなのにね。オファーないの? Y) ないです、、何か嫌われるようなことしたかな(笑) N) いやいや!あいつは後輩に頼らないっていうプライドがありそうだから(笑)   N) 最初にno44を辞めてからはどうしてたの? Y) ロンドンへ語学留学をしました。 N) バイヤーの仕事には語学が必要だと思ったの? Y) そうですね。会社にはすごく良くしてもらって、入社してすぐにパリとかミラノとか連れてってもらったんですけど、自分には荷物持つくらいしかできなくて。でも早くメインのバイヤーになりたいじゃないですか。ただ、その当時、自分より8才上の先輩がアシスタントとしていて、その方が次のメインバイヤーになるって考えた時に、このままここで5年とか働いていてもメインバイヤーにはなれないと思ったんです。実際、その頃の自分は本当に何もできていなかったので。だったら少しでも今とは違う環境で、今後に活かせる経験をしようと思って、留学を決めました。 N) それで、ロンドンを基点にバックパッカーで旅をしたりしたんだ? Y) はい。ロンドンには1年半くらいいたので、日本で貯めたお金で色々な経験をしました。 N) その後日本に帰ってきて、no44に戻ったんだよね?そこからはバイヤーの仕事をしてたの? Y) そうですね。メインバイヤーの先輩もいましたが、私もヨーロッパやLAに買い付けに行っていました。店長として店舗の業績を任されるようにもなったので、その時に感性を磨く仕事と、数字面を考える仕事の両方を経験できましたね。 N) その時は、お店は1階だけの時だった? Y) 2階もありました。 N) じゃあ既にとんちゃん通りで確固たる地位を築いていた時だね。そこでは何年やってたの? Y) 2年半ですね。その頃からH&Mとかファストファッションの流行が始まって、客層も変わってしまって。良いと思っていたものが急に受け入れられなくなってしまったんです。ただ、会社として絶対にかっこいいものをやっているという自負はありました。 N) no44はどなたが編集していたの?...
  • No.01 DESCENDANT

    No.01 DESCENDANT

    中本健吾/以下 N)何から話しますか? 西山徹(TET)/以下 T)DESCENDANT広島店のオープンの話にしましょうか? N)TETくんに広島への出店を決めてもらったけど、何が一番の決め手でした? T)広島のThe Trunk Market(以下 TTM)に2回出させて頂いて、地元のお客様との距離がとても近いなぁって思いました。他では体験したことがない近さでした。 N)普段はそんなにお客様と触れ合ってないのかな? T)パネルやワークショップ等もやってきているので、そんなこともないんですけど、やっぱり広島で感じた近さは独特なものでした。それは中本さんたちがずっと培ってきたコミュニティなんだなって思いました。 N)たぶんTTMが昼間っていうのもあるんだろうね。あと、ある程度歳をとったっていうのもあって、みんな丸くなってるっていうのもあるんじゃないかな。そこがたぶん近くさせてるんだろうね。前は独身だったけど、今はベビーカー押してくるみたいな。 T)あとはみなさん服がお好きですよね。 N)あぁそうね!よくお客様に「カタログでお酒が飲める」って言われる。 T)へー!(笑) N)ファンはね!これで今日一杯やりますわ、みたいなね(笑) T)楽しみにしてくれてるわけですね。 N)うん。これはレディースでは中々ない世界よね。 T)そうかもしれないですね。でも本当にTTMは大きなきっかけになりました。自分たちも色々とやってはいたつもりだったけど、まだまだだなぁって思いましたね。 N)いや、届いてるじゃん。 T)一番近い東京でやり切れていないなと。小さい区画ですけど店頭の軒先で野菜の販売をしたり、花見シーズンはコーヒーの提供をしたり、服の販売以外のところでお客様と接点を持つきっかけは作っています。この間は、写真家で友人の平野太呂が撮った写真を写真集にして、その展覧会をやりました。 N)なるほど。でもTTMは独特の距離感かもしれないね。様々なブランド、ショップが一堂に会してるし。何なんだろうなぁ。 T)客観的に見ると、すごく圧倒されます。 N)面白いのは、10代からファンだったお客様が、自分からTETくんに「写真撮って」とは絶対行かないの、だいたい奥さんが代わりに声をかけてる。あれは笑うなぁ。その後、僕のところに来て「ありがとう、TETさんに会えて嬉しかった」ってみなさんが言ってくれるんですよ。そういうのがあるから、みんなTTMを郷土の誇りみたいに感じてくれてるんだと思います。TETくんは袋町公園を知ってくれてるもんね。 T)そうですね。 N)今回その公園周りにお店をだしてもらうんで。 T)はい、縁のある気のいい場所ですね。 N)じゃあ、大変だけどTTMにまたでなくちゃいけないね(笑) T)そうですね(笑)  N)前から気になっていたんだけど、TETくんは東京・代官山出身だよね。案外僕が思うクリエイターって東京出身の人が少ないなぁって思っていて。昔から勝手なイメージがあって、クリエイティブなことをやる人は田舎の人って言っちゃいけないけど、東京ってやっぱりすべてのものがそろっているから、なかなかそういうものが根付かないというか、そういうイメージがあって。まぁ、東京でもユーミンみたいな八王子とかだったら別なのかもしれないけど。近いところでNIGOくんとJONIOくんは群馬でしょ?ヒロシさん(藤原ヒロシ氏)は伊勢でしょ。なんかそういうイメージが僕の中にはあるんだよね。 T)まぁそうですね、多いですよね。ただ、近いところで挙げるとSKATE THING、YOPPI、ムラジュン(村上淳氏)は東京です。もっといますね。 N)でもTETくんみたいに、東京のど真ん中出身の人いないでしょ?物心ついた時にはハリウッドランチマーケットあったでしょ? T)ありましたね。代官山にはそこしかなかったです。現在のASOとT-SITEは豪邸と駐車場でした。その駐車場でスケートボードをよくしていました。ムラジュンや、バーバルくんとかもいたと思います。 N)じゃあヒルサイドテラスのハリウッドランチマーケット側は開発してなかったってこと? T)商業施設は何もありません。ハリウッドランチマーケットとハイスタンダードしかなかったです。 N)じゃあ代官山は当時スケートボードメッカだったの? T)そうですね。T-SITE辺りの駐車場がスポットになっていたり、西郷山公園があって。あと、当時はヒロシくんが代官山に住んでいたので、やっぱり滑る拠点にはなっていましたね。 N)僕は代官山のヒルサイドテラスが大好きで。トムズサンドイッチも。だから東京に住んでいた時、代官山は好きな場所だったな。 T)東京に住んでたんですね!どこに住んでいたんですか? N)僕は武蔵小杉に住んでた。神奈川だけど。 T)そうだったんですね。起業したのが今のref.ですか? N)最初はHIGHBRIDっていうお店。94年だったかな。呉でスタートした。 T)あ、そうでしたね! N)そうそう。代官山はちょうど僕がいた頃、ファッションが開発されていて。 T)90年代になって、ようやくショップやレストランとかが出来始めたんですよね。 N)そうね。だから、僕にとって代官山はトムズサンドイッチや小川軒もあって大好きなエリアです。 T)トムズサンドイッチは去年なくなっちゃいましたね。昔、トムズホットドックってあったのご存知ですか? N)知らない! T)あったんですよ、八幡通りに。80年代くらいでしたかね。 N)そんなTETくんは若い頃、何に1番影響を受けたの? T)そうですね…確実に言えるのは、ヒロシくんやSKATE THINGとかですね。元々はスケートボードやUSのユースカルチャーは好きだったんですけど、彼らから直接影響を受ける方が、近道でもあり、ハイブリッドでもあり今のストリートファッションの先駆者でした。 N)それはTETくんが何歳ぐらい? T)13-4才ですね。ただ、そうなると早く大人になりたくて。今思うとそれはちょっともったいなかったなって。生き急ぎました(笑)でもそこが情報源でしたし、刺激をもらって、色々と学んでましたね。 N)やっぱりお二方の影響が1番強い? T)その後、NIGOくんと知り合って。彼がNOWHEREを立ち上げて、僕とSKATE THINGがやっていたFORTY PERCENT AGAINST RIGHTS(以下FPAR)を彼のお店で取り扱ってくれることになったのがきっかけなので、やっぱりNIGOくんも大きな存在ですね。 N)伸ちゃん(滝沢伸介氏)とはいつ知り合ったの? T)15-6才くらいに、たしかヒロシくんの家で会ったんですよね。当時、ペット伸ちゃんって呼ばれていて、爬虫類を飼ってて。ヒロシくんも爬虫類好きじゃないですか。 N)僕もヒロシさんとオオサンショウウオ見に行ったことがある。...
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